2007→2008

今年も一年ありがとうございました。来年もよろしく願います。

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元春さんのいいPV。結構ぴったりかもね

ニューエイジ
数えきれないイタミのキス
星くずみたいに降ってくる
数えきれないイタミのキス
星くずみたいに降ってくる
何も分けあえられない
何も抱きしめられない
でも今夜だけは
君と輝いていたい
That's meaning of Life(それが人生の意味)

昔のピンナップはみんな
壁からはがして捨ててしまった
昔のピンナップはみんな
壁からはがして捨ててしまった
誰もわかってくれない
誰も気づいてくれない
君と今夜は闇をくぐって
小舟をこぎだしたい
That's meaning of Life(それが人生の意味)

ニューエイジ
ニューエイジ
冬のボードウォークにすわって
すべての終わりを待ちながら
ブルーな恋に落ちてゆく
Sweet Sweet(ステキな)
ニューエイジ

彼女は虚ろなマーマレイド
雨に向かって歩いてゆく
彼女は虚ろなマーマレイド
雨に向かって歩いてゆく
誰も愛しあっていない
誰も信じあっていない
でも今夜は君の濡れたコートを
脱がしてやりたい
That's meaning of Life(それが人生の意味)

ニューエイジ
ニューエイジ
冬のボードウォークにすわって
すべての終わりを待ちながら
ブルーな恋に落ちてゆく
Sweet Sweet(何てステキな)
ニューエイジ

心のスクラッチを抱いて
オマエを激しくノックする
心のスクラッチを抱いて
オマエを激しくノックする

ニューエイジ
ニューエイジ
冬のボードウォークにすわって
夜明けの光を待ちながら
ブルーな恋に落ちてゆく
Sweet Sweet(ステキな)
ニューエイジ

数えきれないイタミのキス
星くずみたいに降ってくる
数えきれないイタミのキス
星くずみたいに降ってくる
何も分けあえられない
何も抱きしめられない
でも今夜だけは
君と輝いていたい
That's meaning of Life(それが人生の意味)

ニューエイジ
ニューエイジ
冬のボードウォークにすわって
夜明けの光を待ちながら
ブルーな恋に落ちてゆく
Sweet Sweet(何てステキな)
ニューエイジ
ニューエイジ

ビジターズ

 
よいお年を

紅白見たんだぜ

紅白見たんだぜ。
まいみー凄かったですね。セリフのとこ、ドキッとした。あれってさぁ完全に演じないと寒いよな。歌詞字幕出て、ワー来るのかってドキッとして、でも寒くなかった、そんなまいみにまたドキッとした。迫力があった。堂々としてるんだもの。
亀ちゃんがニコニコ、ガキさんもパワフルな笑顔、れいながやはりキメキメで、さゆこはも伸び伸び、みっつぃジュンリンも確認、たぁは唄うまいし。
ハロプロはもやもやのアイドルからアイドル芸になれるんだよ。活路みたいな、期待みたいなのを勝手に感じた。現実と乖離しすぎてるかな。彼女たちどうなっていくんだろう。欲望の簒奪と喚起、無限の拡大、再生産のシステムの中で、歪まないでいることはあらゆる意味で難しい。

ハロプロ書籍大賞07
http://wota.danna.dvrdns.org/hbg07.html

1位「蒼蒼~そうそう~」/道重さゆみ
2位「ラブハロ!亀井絵里」/亀井絵里
3位「ラブハロ!高橋愛 」/高橋愛
4位「GIRL」/田中れいな
5位「みうなノート」/みうな

にした。
さゆは3冊なんだよなあああと詠嘆。お人形さんで、果物で、静物で・・・という人間の比喩のような、人間類型の比喩がさゆ、というような。「憧憬」がほっそいほっそいなあで、「17〜ラブハロ!道重さゆみ」でぽちゃって、「蒼蒼」でまたちょっと戻る、というような、さゆサイクル。「蒼蒼」は光の種類が一杯で、色んなさゆ、さゆが一杯な一冊で、専門的なことはわからないのだけど、たくさんの光の粒子をさゆにぶつけて、たくさんの2項2極を発生させている、といった風。明暗、濃淡、自然/人工、ダイナミック/スタティックとか。もっと一杯。それでさゆはさゆで、たくさんの表情。憂い、アンニュイ、艶。愛嬌があったり、元気だったり。
亀子は「MAPLE」もよかったんだけど、ラブハロが身体性復活でよかった。亀井の人間の存在感、肉体、肉の存在感の復帰、としても、この人が着火したところの、記号的な「萌え」の散逸はもう取り返しつかないものだし、亀ちゃんはともかく、俺はそれによって一度死んで亡霊みたいなものだ。早く成仏します。「MAPLE」はカナダの亀井、寒いところ、緯度が高いところの亀井はどうなるか?どんな風に映るのか?という実験であって、それは南国の亀井は地元民、というテーゼの補完的な例証として勝手に期待していたものなのだけれど、実際見てみると、上記問いが不能というか無能になって、ただ静謐な綺麗な亀井さんがそこにいましたとさ、というオチで。あまりカナダぽいというでもなく、というよりはそもそもカナダってどんななのか知らない、という知識の無さが露呈したりして、ただただ針葉樹林とか、青い高峰とか、深い透明度の湖とかがあって、その中に亀ちゃんがいてといった風で、そういう意味では北海道でもよかったのかもしれない、と北海道の知識の無さまで露にしてみる。どうせならシベリアのツンドラとかの方がわかりやすかったかもしれないが、わかりやすいからなんなんだ、という話。
たぁはエロい、とずっとそう思ってる。ナチュラルボーン・エロ。ホモサピエンスからのエロ。ラブハロも勿論裏切られなかった。「水」はその点作りすぎかなあ。この人は水着じゃなくても、おっぱい寄せて谷間作らなくても、特別何することなくエロい。むしろ、着衣の方がエロい、という見解はまったく趣味の問題です。胸元のほくろも健在。
れいなはアロハロも同じぐらいよかった。けど相対して「GIRL」を。れいなは写真集というフォーマットではずっと一律でスレッショルドが高い印象。それはコンセプトを下手に受け付けないというか、この人自身の強さであるのでは、と。なので「萌え」でも「ツンデレ」でも「制服」でも「水着」でも何でも来いなんだけど、どれぐらい属性の効能が働いてるのか、わかんないのだけど、どうなのか、とこれは問いではないのだけど。ちょっとしたところで大人ぽいカットがあったりして、永遠の13歳、ガキンチョはとても自然に変化していくのだろうか、それとも、はてさて。
みうなノート」は読むと元気になる。立花隆の「青春漂流」とか椎名誠の青春伝記的小説みたい。

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あとはベリっこの3人と、ガキさんこはを手に入れてた。グループの写真集欲しいな。それかカップリングとか。あとは特別な企画物。コンサ写真集とかみんな大好きシリーズが欲しい。アロハロラブハロの価値も特別なもので無くなったし、水着も食傷気味だし、冊数多いのは嬉しいけど、感受が鈍るという贅沢も口走ってしまう、すみません。今年も一年本当にありがとうございました。

デングデングラッサQ、デングラッサQ

トヨカズもキヨシも、そしてつい今朝方ヒロシも死んだ。ハチのムサシはもっと前に死んでいた。ヒロシが81歳で起こした事件についてはここでも触れない。ただ一つ、彼は娑婆というものの意味をまるで理解していなかった、ということだけ記しておく。
娑婆について語ることには、℃-uteが、暮れ押し迫る2007年、レコード大賞最優秀新人賞を獲得したことの意味を考える時、一つの連関的なヒントとして明滅するであろうところの「おめでとう!」「コングラッチュレーション!」を十分に吟味する強靭な粘り強い魂の勇気が決定的に求められる。お前は勇者なのか、スフィンクスが問うに「レコ大殺人事件というものがあったとして、あったとしてだ、あったかどうかは太陽神の与り知るところでもないが、でもまあちょっとあったとしてくれんかね頼むから、その意味するところは何であるか?」。この問いに答えられない者は皆、頭髪ふさふさの地味に気持ち悪いスフィンクスへと変身させられた。サハラがスフィンクスで埋まった(衛星写真ではサハラが緑化したように見えた)というニュースが電信されたその翌日には、ゴビ砂漠と、ネバダ砂漠の半分が名無しのスフィンクスで埋まった。鳥取砂丘はサンドスキーのメッカなので許される、埋まらないだろうと、当地の観光業者は無邪気に期待したが、サンドスキーの滑り手の顔が全てスフィンクスのそれであることにはたと気づき、あちこち無統一に頭を垂れ垂れひれ伏すこととなった。信心とはおよそこういうところから発生するのである。
さて、そのスフィンクスの問いの答えを知っていたのが実に、前述の3人であり、その3人こそが「ヲタ」であるのだが、ヒロシに限っては、先ほど書いたとおり「娑婆」の意味を知らなかったわけで、であるのなら、彼には先天的な才能、つまりヲタの天賦の才能があったのだ、それで乗り切ったことになるのだと、認めるにやぶさかでない、と藪坂さんが言っていたとのことである。米寿まであと少しだったが、それよりも先天的な才能の方が、それによる生が大切だと、藪坂さんはこの話を教訓じみたものにしようと目論んだのだけれども、そうなると物語としては少しくうるさくなるので割愛する。

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デングデングラッサQ、デングラッサQというフレーズをとても気に入った僕は、これに上記の3人に対する憧憬をこめて一曲作り、奉納する用意がある。僕はその問いの答えを知らない。

メモ

k11さんからヒント頂いていました。
http://d.hatena.ne.jp/k11/20071219
 
以下メモ的に
 

ソシュール (同時代ライブラリー)

ソシュール (同時代ライブラリー)

ポスト構造主義 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

ポスト構造主義 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

ソシュールを読む (岩波セミナーブックス 2)

ソシュールを読む (岩波セミナーブックス 2)

この辺読みつつ。

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無意識、言語の総体としてのラングの要請
方法論
方法としての現象学的還元、独我論など
科学的(科学記述的)な意義

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何故差異を強調し、区分を重要とするのか。
ソシュールは非直接的に言うことで、事態を示そうとした?
直接的に言うと、問題がある?実在論のドグマ
たくさんの2項は有効(ラング/パロールシニフィアン/シニフィエ、通時/経時、シンタグム/パラディグム、恣意性/線条性など)だけど、この「差異」の超越性、つまり根源的な「差異」ですら超越できない、ということ、「差異」の「差異」たる根源的な超越性を陰影的に示すことの意味は、強調しても強調しすぎることはない。
 
目に見えないが、そこに内在する人間、物を規定するもの規範であるもの
そういう構造の事を「無意識」として要請する。
「無意識」というシニフィアン、それに対応すると
想定されるシニフィエのレイヤー、増殖。
無意識は実在論的な意味で意識の対項、対概念ではない。
→逆にここにおいて「意識」が「ある」とはどういうことか?
 
フロイトの快楽原則、現実原則は直感的にわかりやすい。
ただ以上の意味での無意識がこれにどうつながるのか、内在的な連関については知らない。
それでも要請することの意味。
 
超越項が無い事に耐えられないのは一瞬だが
一瞬は連続する。非連続による連続。
超越し続けざるを得ない。
 
逆から見たら
超越論的なものはものとして対象的になるがゆえ、体系に引き戻される
あるいは超越を一瞬一瞬禁止される→最終的に汎神論になる?
 
普遍のパターン(超越性)があるんじゃないの?あるでしょ→構造主義
普遍のパターン(超越性)はやっぱりないよ、言い得ないよ→ポスト構造主義
ってことになるのかしら?

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価値論
http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20070624/p1
 
価値の、価値言説の体系
歴史的な価値の記述、歴史哲学の意味、系譜学の意味
音楽の体系化、記号論的音楽解釈、価値化
アカデミズムとの関係
全てのもののコンテンツ化。コンテンツと言う概念の強力な含み
テクノロジーとの親和性
 
複製技術→複製「技術」
客体的な芸術に意味がなくなる。
アウラは蘇えるとすれば、新たな価値化の中。
一回性自体が複製される、そんな技術。
 
価値の権威が解体されるわけではない、ただただ相対化される
たくさんの権威、たくさんの島宇宙、それらの複雑動的な関係性
 
その中における
一極化現象の意味、孤独の意味=生の責任
一極化はフラットの逆説的現われ?
 
主体客体がコンテンツにおいて溶解混和する中で、新たに
コンテンツを作っていく事の意味。動機

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価値(の一次?)生成よりも価値受容(という(二次?)生成)

2007-12-19

まさに「生成」という意味で、唯物の次元で、技術の次元でフラットになってしまうのではないだろうか、と思いました。その先に新しい道徳を「生成」できるかどうか、「小さな物語」を語り始めるということになるとして、何をどのように語るか、生成するか、というポイントで恐縮ながら問題意識を共有できた気がしました。