teentrashさんの10周年に呼んでいただきました。
十三で演奏してきます。
http://tk104.seesaa.net/article/223505719.html
http://www4.ocn.ne.jp/~c.water/sche1111.html
今日はいい陽気なので軽装
かなもけんさんにジャケット作っていただいたベストアルバム
「characters」

四谷

http://kanamokenten.jottit.com/
本日、四谷で演奏してまいります。かなもけん展のオープニングイベントに呼んでいただきました。たまたま近くにいたり、ご都合合ったりしたら覗いていってください。覗いてみてああこれなら、という場合はずずっとそのまま中にお入りください。

イベント場所は四谷ひろばです。収容人数が30人強です。一杯になったらごめんなさい。反対にガラガラだったらくつろいでください!いずれもおもてなしいたします。

カンパ制で500円です。ごめんなさい、室内飲食できません。廊下は少なくとも「飲む」はできそうです。いやまあ細かい話はここまで、どうぞご寛恕、お付き合いの程をよろしくお願いいたします。

かなもけんさんにジャケット描いていただいて更に選曲もしていただいたベストアルバムを販売いたします。限定でプレミアムなカード(図柄が色々違う)が封入されていますのでいずれプレミアムです。カードのセル画?、原画がフィルム状だったのですが、それを見て興奮しました。プレミアムがいや増すではないですか。CD売り上げは作品制作代、飲食代などに充当します。明朗会計です。

で、早速かなもけん展拝見してまいりました。ぼくはかなもけんさんの絵のどういうところに魅かれるのだろうと今考えています。多分そもそもぼくはどんな画が好きなのか、というところがそれを考えるにひとつ大きなポイントであろうなと。すると、カラフルな色づかいということがまずあげられます。でもそれだけではもちろんないのです。いえやはりぼくの話はこれぐらいにしておきます。是非かなもけん展にいらしてあなたの目でご確認ください。
かなもけんさんに次の機会似顔絵を描いてもらわねば、写真画像を送ろうと思いました。id:altaのナガモトさんにも描いていただきたく。先だって描いておられる場面見ていたのに、こう、その場でパッと思いつけたらいいのに、といつになく悔しさをにじませております。というのも今ぼくはとてもやせているから、なのでして、それで今日もやせたと言われ本当は嬉しいのに、んーまぁもともとやせてるので元に戻ったんだーなどとうそぶいてしまったりして。いえぼくの話ばかりで申し訳ありません。

群馬-兵庫-東京-大阪2 下書き保存をアップしてしまいました

アクシデントです。
 
ナガモトさんの展示「ordinary days」を拝見しました。

震災後、大仰な言葉が並んでる現実を見て、表現をさりげなく行えないかなとも考えました。

ordinary daysというタイトルについて | 東毛のグループ展「POPWORKS」ポップワークス

ナガモトさんは変わらず精力的に活動されてる。すごいな。ウェブブラウザで拝見する絵と、実際目の前に絵を見るのと、今思えば、それら両者の印象に大きな違いがなかったかもしれない。何となく不思議に思われる。まず単純に媒体の経験の違いがあるはずだから。
ordinary=普段、普通について何か書こうと思ったけれど、書けない・・・*1

*1:わが身を振り返るに、震災以降、言葉が無くなってしまった、とやはりずっと思ってる。ともすれば、外に現れる行為行動は変わらないかもしれない。でもどのように振舞ってみてもただじっとりとうつろにみえてしまうものがあって、そのような内省の道筋はもう立派な強迫のようであるから笑える話でない。自分はこのタイトルをつけた時何を考えていたのか当然のようにすっかり忘れてしまっている。何も考えていなかったというだけのことだろうか。そもそも「日常」「生活」「毎日」「普通」「当たり前」といった概念が何を指していてどう共有されていたのか、され得たのか。そして今それらの言葉は何を指しているのだろう。あるいは何かを指していた、という形でしか、過去形でしか認識できない物事なのだろうか。以前の「当たり前」への郷愁でもなく、回帰するでもなく、忘れていくにしても、悲しむにしても、特にアイデアがない。と一通り書くと、とてもネガティブな印象があり、そしてその想念はやはりずっと3月から奥底で変わってなくて、ではそれは一つ「人間」の態度としてどうなのだろう、と問うてみても、どうも薄ら寒い。そんなことを言い出せば誰も心でそうなのだということを実は誰も慰めにできないのではないか。いや、言葉が無いというのは、責任ある言動、というか言動の責任を負いたくない、ということ、それだけなのかもしれない。わたしは結果的に暗黙のうちに語らないという形でそれを全て震災のせいにするだろう。何で脚注にこう長々書くのか、残しておきたいので残す。言葉は心のようなものを如何様にも駆動させるので怖い

群馬-兵庫-東京-大阪、途中でした・・・


8月に群馬で演奏して参りました。前エントリのもので、大分間があきました。呼んでいただいたナガモトさんに行程でお世話になり通しでした。改めましてありがとうございました!ビデオ撮っていただきました↑
太陽カンカンで、汗が目の周りを執拗にまとわりつく、暑い一日でした。しかし楽しい演奏できました。ご覧くださった方々、遠方からもおいで頂きました。演奏後の冷たい紅茶、ジェラートおいしかったです。当地ジャパンスネークセンターの方々にもたくさんお世話になりました。重ねて本当にありがとうございました。

群馬スネークセンターに行きます/ordinary days

id:altaのナガモトさんにお招き頂きました。ありがとうございます!
ヘビに囲まれながら唄って参ります。
ヘビを触ったり、体に巻いたり、毒ヘビ見たりしたい。
つまりこれは演奏にかこつけた旅行なのではないでしょうか?
そうです、本当に旅行気分です!
http://ameblo.jp/poplifeworks/entry-10974289416.html
http://snakedoc.blog107.fc2.com/blog-entry-119.html

・震災はともかく、あなたたちが作り上げた大国であり、そこに乗っかる私は成り行く運命の僕である、と宣言し身を任せることは、退廃的でもあるのではないか。
・昭和なんてうらやましくないし、何なら馬鹿にして、どうにかこうにかするということは、反抗であるか。

東毛のグループ展「POPWORKS」ポップワークス
・ナガモトさんにきっかけを貰った。
・震災以降の言葉がない。
・言葉がない、ということを言うまで何をしていたか、というと、何だったのでしょう。