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- 作者: 藤原保信
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1993/08/20
- メディア: 新書
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部分でしかないけれど二点、人間の本性というもの、特に人間性の根本の倫理的道徳的な部分をわれわれはどのように設定すればいいかということと、デカルト以降の近代的自我と、言語共同体に構成される社会的自我を個人の両極として認めて差し支えあるだろうかということ。印象論だけど、前者の自我は後者に解消するには重い。
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http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3042
これ見ました。
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震災もあり景気悪くなってるのもあって、直接の因果は複雑ながらも、以前よりうまくたちいかなくなってるのではないか、という職業訓練制度、政策の話。
離職者訓練の就職率については
http://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/risyoku/index.html
下段にあった。数字見ると、ここ2,3年下がり気味。あとは就職に繋がっても訓練コースの内容とは異なるという実態があると、ちょろりと。
番組では諸外国へ仕事持ってかれてる業種(どこの地域の製造業か見そびれた)が事例紹介されてた。以前はうまく訓練から就職へ繋がってたのだけれど、仕事ないので、職業訓練でその供給増やしても、その需要は当然のようになくなってしまう。しかし、現行のニーズを即時的に汲んでマッチさせていくのはなかなか難しそうで、行政の苦心が見えてた。
番組では比較対象、うまくやってる例として、デンマークの職業訓練を紹介。まず、ニーズという点なら、成長産業(風車インフラの製造が事例だった)で増やすということをしてる。じゃあ今、日本の成長産業は何か、という話になるのか、そこで雇用創出して労働力吸収できるのか、というとちょっと唸る。
要素としては、国だけでなく、地方自治体、共同体(コミュニティ)、企業の共同ということもあった。特に、地方のコミュニティのことを強調していた、かな。
どうやったら色んな条件異なる日本で参考にできるか。例えばデンマーク、転職回数の平均が6回という流動的な雇用・労働の情勢、習慣にびっくりする。
http://www.jil.go.jp/mm/kaigai/pdf/20030314.pdf
には、その経緯があるのだけど、国の政策に過大に依存してしまう傾向も見られてるよう。
雇用の流動に関しては、労使というポイント、歴史ある労働組合制度による協約の機能性の指摘が以下にあった。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/committee/list/data/danmark_report.pdf
「フレキシキュリティ」、柔軟な流動のフレキシブルと、社会保障の安定のセキュリティ、の合成概念。国家体制の違いがどの程度のものかを。質・量として私には断じることができないけれど
「デンマークモデル(フレキシュキリティ)は、100年近くの長い年月をかけて(政労使3者合意により)構築された福祉国家を基盤にしたものであり、直ちに他国に輸出できるものではない。」
http://www.jil.go.jp/column/bn/colum072.htm
と言われるとやっぱり唸りに唸る。
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私も先般職業訓練受けてた。でも就職に繋げられてない。ポピュラー音楽ばかりやってて、ポピュラー音楽しかできないということもあり、それ以外の実務経験なく、そのポイントの大きさから、正攻法では雇ってもらえないな、と。単なる思い込みだけなので無く求職活動のうえでの判断なのだけれど、であるから、きちんと機能するまで無給でいいので経験積ませてもらえませんか作戦に出ようかと思い実行に移す。逆に、経験積ませ代払ってくれと言われてもしょうがないかな、と想像するけれど(ユーモアです)、積ませ代は無いので、唸る。
雇用行政、政策にしたくてもできないことってあって、それは当たり前、いわばこういう規格が異なるだろう人に仮に何とかしてあげたくても何もしてあげられないのではないか、と。それでも私は幾人にも親切にしていただいたし、していただいているのです。ともあれ、「経験」という規格に合うためまずそれを何とか得よう、ということである。
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カンディンスキー青騎士展見てきました。
兵庫県立美術館-「芸術の館」レンバッハハウス美術館所蔵 カンディンスキーと青騎士 2011年4月26日(火)から6月26日(日)まで Kandinsky and the Blue Rider from the Lenbachhaus, Munich
割に具象的なものからパッと抽象的になっちゃう瞬間を見た。カンディンスキー個人の軌跡と、彼の周りにいた人たちの動き、それらの作品がズラズラ時系列で並んでいた。
そのように芸術作品の固有の歴史(その極々一部であるが)を100年ぐらい後から眺める、観察すること。
その観察のなんともいえないあっけなさ。単純に個々の苦心惨憺が見えないからだろうか。そりゃ直接は見えないだろうけどそういうことじゃなくて。絵を描く画家の作業をずっと撮影してる動画のことを思う。これは別の作品か。
「必然性」みたいなものを後から見出すこと。見出してしまうこと。解釈に呪われてしまって身動きできないってこともあるのかな。歴史を時間軸、線的連続的なものと捉える。反対に全く線でも連続でもない、飛び飛びデタラメだ、とあえて見るならその意味は。
やはり木の有機的な成長のようなモデルには一定の魅力を感じる。個々の作家の創作精神の神話があって、その環境との相互作用における有機的な発展があって、それぞれで。飛び飛びデタラメモデルはデジタル化して色彩で同種のものを検索するとか、どれぐらいの時間で描かれたとかで、分けられるの。意味があるかしら。そういえばRGB分析、レベル配分の話は別の角度からvoqnがしてたなとhttp://synr.tumblr.com/post/39526684/voqn-rgb。分析の道具から何からわからないところ多いけれど、何となくすごい話だと。それはそれとして、芸術の歴史がどう作られていくか、見られていくか、と。
あとは、鑑賞の条件とか、制作の条件とかについて。
それら条件を壊したり自覚的に引き受けたりするのが現代的であったりする、と言って差し支えないだろうけど、陳腐か。
それから、本当はこんなにきちんとデッサンできる、綺麗に描ける、だけど、こういう画風なんだ(そういう「基礎的?」なことがあって始めてラディカルなことできる)というような言い方のどこかしら興味深いところ。
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人生はやりなおしがきかない、というアナウンスはなぜ人気がないのだろうか。できるだけ小さいときから好きなことを見つける努力をして、知識や技術を得ると、人生には大きなアドバンテージがある、というアナウンスがこれほどまでに不足しているのはどうしてだろうか
アウェーで戦うために―フィジカル・インテンシティ III 知恵の森文庫
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・いかめしい「市場で競争」って言い方はなぜかどこかこそばゆい。でもより非熟練的な労働が労働人口のグローバルな流動によって低廉化してく云々などと聞けば当然穏やかでない。
働くということ - グローバル化と労働の新しい意味 (中公新書)
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・・自助努力という言葉を使うも何もなく、誰も国も個人を「助ける」ことはできない(と考えておくのがいいのでは)ので、とりあえず現行の制度(雇用とか会社とか業界とか漸減するとしても制度は残る)でしっかりおやりよ、そして剣を磨けよ、と。それには「大志」とか「夢」とか「欲望」とか必要なんでしょうか。もっともっと、そうだ、ひりつく「生」か。どうかな。それら呼び方はともかく、まあ生産労働に対する規範、ぐらいになるかな。それって空から急に降ってくるものでもないだろう。環境かな。欲望だらけの街に繰り出したら、欲望にあてられる、というような。食べ物なくなったら動き出す、とか。まあ、「小志」ぐらいでもいいと思うんだけど。呼び方はいいよ。
・・あるいは耽美的に没落する、とか、耽美よくわからないけれど、そういうのあるのでしょうか。ずんずん貧しくなっていってそこでたゆたい続けるような、静的な緩慢な。
・・伝統的な価値観、国家的なそれの再生産イデオロギーみたいなのに対する、サイレントテロもここらで輝くのかな。
・・完全に競争から抜ける、競争人数がより少ないところへいく、など。
・競争で勝負できる専門家、スペシャリストになるには悠長ではいけない、ですよね?それこそ、村上龍の引用の話。
・・そう「競争」つっても、一部のスペシャリストが鞘当てするイメージは連想付け何となくできるけど(イメージの意味の有無はともかく)、一つの職能ヒエラルキーに個々人が統合されてるでもないのだから(あるいは、神さまの職能マッチングはない説)、そこそこでやれそう、でもそこそこがそれほど甘くないんだよ!ぐらいなのではないか、と。大口を叩くつもりもなかったのですが・・・。神さまの職能マッチング説は最強に最適な人的資本効率分配だよね。きっと大きなヒエラルキーに統合されることなのです。競争の余地もないのか?でもグローバリズムってそっち向きではあるのかな。
・・・これがわが社のスペシャリスト(会社営業活動のひとまず取替えきかない一部分)です!になるべし、ということでしょうか。
・そうそう
ってそんなのあったらみんな知りたいし、知ってたら黙るわいということですよね。
・おー!やりなおしきかない人生で、アドバンテージ無くそのやりなおしきかなさをどうにかして生きていく、という動機を見出しました。