デングデングラッサQ、デングラッサQ

トヨカズもキヨシも、そしてつい今朝方ヒロシも死んだ。ハチのムサシはもっと前に死んでいた。ヒロシが81歳で起こした事件についてはここでも触れない。ただ一つ、彼は娑婆というものの意味をまるで理解していなかった、ということだけ記しておく。
娑婆について語ることには、℃-uteが、暮れ押し迫る2007年、レコード大賞最優秀新人賞を獲得したことの意味を考える時、一つの連関的なヒントとして明滅するであろうところの「おめでとう!」「コングラッチュレーション!」を十分に吟味する強靭な粘り強い魂の勇気が決定的に求められる。お前は勇者なのか、スフィンクスが問うに「レコ大殺人事件というものがあったとして、あったとしてだ、あったかどうかは太陽神の与り知るところでもないが、でもまあちょっとあったとしてくれんかね頼むから、その意味するところは何であるか?」。この問いに答えられない者は皆、頭髪ふさふさの地味に気持ち悪いスフィンクスへと変身させられた。サハラがスフィンクスで埋まった(衛星写真ではサハラが緑化したように見えた)というニュースが電信されたその翌日には、ゴビ砂漠と、ネバダ砂漠の半分が名無しのスフィンクスで埋まった。鳥取砂丘はサンドスキーのメッカなので許される、埋まらないだろうと、当地の観光業者は無邪気に期待したが、サンドスキーの滑り手の顔が全てスフィンクスのそれであることにはたと気づき、あちこち無統一に頭を垂れ垂れひれ伏すこととなった。信心とはおよそこういうところから発生するのである。
さて、そのスフィンクスの問いの答えを知っていたのが実に、前述の3人であり、その3人こそが「ヲタ」であるのだが、ヒロシに限っては、先ほど書いたとおり「娑婆」の意味を知らなかったわけで、であるのなら、彼には先天的な才能、つまりヲタの天賦の才能があったのだ、それで乗り切ったことになるのだと、認めるにやぶさかでない、と藪坂さんが言っていたとのことである。米寿まであと少しだったが、それよりも先天的な才能の方が、それによる生が大切だと、藪坂さんはこの話を教訓じみたものにしようと目論んだのだけれども、そうなると物語としては少しくうるさくなるので割愛する。

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デングデングラッサQ、デングラッサQというフレーズをとても気に入った僕は、これに上記の3人に対する憧憬をこめて一曲作り、奉納する用意がある。僕はその問いの答えを知らない。