うーむ

「違法ダウンロードは社会正義に反さないが、権利者に悪影響」--文化庁 - CNET Japan
ダウンロード違法化、「アップ対策だけで秩序は保てない」 | 日経 xTECH(クロステック)
あげあしとってみるに、遵法意識に更なる期待を重ねるのは苦渋だなあ、って思った。改正の内容周知、そもそもの内容の効果への疑問はさもありなん。次の改正のことも当然頭にあるだろうとうがってる。著作権法のみならず法律を守ること自体についてきちんと幼児期から教育すること、この社会で生きていくためにずっとそれらについて考え続けるように教えること。法律は誰が何のために作るのか。急に法律が来年から変わりますって言われたときにはもう遅いのか。じゃあどうやったら、法律が作られる場所に直接間接参加参与できるのか。著作権法関連の審議会とか委員会とかに参加して(という表現が正しいか筆者は無知です)、状況を成り行きを構図を知らせてくれた人たちがいることを私は少なからず知っている。
問題の根本を複製技術、流通技術には見ない理由が何か決定的にあるのだろう。権利者がそれらの業界と闘わない理由。ああ闘って負けてきたんだっけか。それを根本問題にしたら負ける?で、業界同士が仲良くしてるのがitsの例、と。itsで権利者が「本来儲かってた」と期待されるより実際儲けているのかはわからない。そうだったらいいな、儲かってたらいいなと皮肉無しに思う。
ほとんどインフラ化した複製・流通技術によるコスト極微の世界におけるコンテンツへの課金の正当性は、交換経済、利潤経済の根拠を脅かす。もともとお金かけて作った作品、赤字になっては困る作品、営利の作品である理屈は理解できる。営利の作品の文化。カルチャーファースト。お金があったから、遊びだってあった、面白い作品ができたって話もあるらしい。しかし、デジタルファイルにお金を払うってどういうことなのか?デジタルファイルを「そのまま」交換経済に取り込むことが出来るのか。くどいが、そのもの自体極微のコストで制作されるデジタルファイルがお金と交換されることの意味を思う。それはとても不思議な魔術にみえる。コストフルなオリジナルの存在とそれら複製ファイルとの様々な関連を無視するわけではない。無視しないために。
「若年層」や「悪意あるユーザ」を対置して、正当なユーザで囲い攻撃するか。島宇宙やあるいは匿名テクノロジーにおいてそれら「敵」を炙り出すのはなかなか困難ぽい。そもそも、どんな価値観を前提にして、解決を図ればいいのだろう。そもそも、権利者と消費者という構図だってあやふやになってくるのじゃないだろうか。じゃあひとまず一歩、何が大事というに、文化作品を楽しみたい。これを前提とすると、その作品は誰がどうやって作るのか、と問いうる。うーんこういう問いってあまり現実的じゃなさそう。あまりパワー無い?で、誰がどうやって作るかを同定するのは難しいけれど、それが人間の行為としての価値付けの一環であるなら、そこにこそ生産のためのパワーを、お金を注ぎたい、と思う。この結論はやはりいまだ現実的足りえないかもしれないけれど、ここから一歩という気はする。