おいしい紅茶を飲んだ。味が濃い、豊か。色んな味がする。葉っぱの糖分。

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友だちが結婚するとのしらせ。ほわー

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自分の1億倍は苦しんでいる人間に相対するという事態がもう残酷だ。苦しみなんて比較できませんよー。生きて苦しめ、って滑稽ですか。何様だろう。露悪家としてもどうか、中途半端な。もうちょっと早く出会うことができたら、どうだったろう。詮無いことだ。出会うという表現に違和を覚えないほどに、ネットで出会っていると考えている。そんなバランス。生存は笑える。笑いながら関わり続ける。どっちが先に死ぬか、そんなもんだ。生きることは復讐だという発想がこなれて、彩りになっている。ろくな死に方するものか。

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人は誰でも地獄を背負ってる。この一般論よりも、別個の幸不幸を相対したり比較したりする態度の方が、実はポジティブなフィードバックを望めるのかもしれない、なんて考えた。皆が皆固有の地獄を背負っていてそれらは共約不能だとするよりも(ここで抽象的な共感の余地はあるかもしれないけれど)それぞれの地獄を比較することで、天秤にかけることで、外形は権力的な構えやハラスメントをとったりしながらも、生活は、その想像力は動いていくかもしれない。皮肉だけれど。
私はこんなにも苦しんでいる、あなたよりも苦しんでる、だからあなたは頑張れ。こんなに極端にわかりやすい欺瞞的な道徳要請でさえ、感情に訴えかける何かが、いやわかりやすいからこそか、あるでしょう。反発心しか生まれないかな。うむ、「ポジティブなフィードバック」とは頓珍漢な期待に過ぎない表現か。
皆が皆苦しみを地獄を背負う。多かれ少なかれ、意識的にせよ無意識的にせよ、勝手に格好をつけてそれらに関し黙して語らず生きる。秘密、というとちょっとピンとこないけれど、何らかの楔、頚木。このたがをはずしてしまったら屑折れてしまうのではないか、という恐怖があるのではないか。
インターネットで己の感傷やらドロドロやらを爆発させてしまうことについて考える時、いつも「王様の耳はロバの耳」を思う。裏山に穴掘ってそこに、知ってしまった誰にもばらしてはいけない王様の秘密を吹き込んですっきりする、と覚えていたけれど、覚え間違いだったのかな、ぐぐったらちょっと違う話が出てきた。まあディテイルも本来の寓意もとりあえすどうでもいいのだけれど。
シンプルにそれは、書く事のみで達成されるのでなく、誰かにそれらをバラしたい、そしてばらすことで治癒する、なんて風に疑似心理分析ぽく考えてた。王様の耳はロバって吹き込んでただすっきりするのでなく、誰かにみんなにバラしたい、ばれたい、というようなこと。そしてばれて完結する?
これってコミュニケーションなのかしら。