ネットの人と会うことについて - おれはおまえのパパじゃない
作品と作者の関係。その人の作品がすき、文章がすきであるとして、その作者と会ったらどうなるか。ラジオDJのナレーターの顔見てがっかり、というはなしはたまに聞くけど、これはちょっとまた特殊のはなしかな。
ネットで触れる誰かのブログとか作品。その作者とコミュニケーションするにしても、ネット自体でコミュニケーションできちゃうので、ネットだけでいいです、ある一定の付き合いがここにもう確立されているので、それを変更したくないし、する必要もない、と。「オフラインで会ってみることは、それまでの一方的であれ双方的であれそれまでの関係に決定的だ」。オンオフを安易に比較はできないが、その意味するところはわかる気がする。オンラインの印象、その固有とは別に、オフラインの印象もまた強烈な尺度になりうるし、それまでの関係を変更してしまう機縁になりうるだろうな。
前提になってるものは、人間理解自体とか、関係、コミュニケーションの理解とか。例えば「(一貫した)人格」がそこでの重要な概念として流通してる。それから、いざ会うにしても、結果一度きりの会合もあるだろうし、継続的なそれに発展することもあるだろう。それはポジティブな見方によってるかも。

自分の場合、会ったあとも、継続的にお互いにサイトを読んで、コメントする程度で、プライベートでやりとりしたり、会ったりしないという距離感のネット人間関係は結構あるので。

「会ってみる」と「友達になる」(継続的に交流が続く)は別 - ARTIFACT@ハテナ系

まさに、こう色んな関係が結ばれていく様。だからまあたとえ駄目になっても、しょうがないか、ぐらいに淡白といえば淡白なような。
僕はきっと結構気軽に会ってしまうだろうなあと思う。ただ、何であれその「作者」であるところの誰かに会ってみたいかどうか。基本的に、それほど会いたいという気持ちは持たないけれど、勢いやノリで会ってしまいそう。これはこれでどうなのかと不安にならないでもないけれど。この無防備さはとても単純なもので、大きくはそういう風にオフラインで会うという経験がほぼないからだとは思う。何かそういう場で一度でもよろしくない、都合が悪いことがあったりしたら、慎重になってそれから気軽には会おうとしないだろうなといった具合、学習が期待されます。
たとえば共同作業における便のため、ネットじゃできないことをするため、などは別として、憧れで会いたいとか、好きで会いたいとはそれほど思わないけれど、この人と会うことができたら、こういう話しよう、なんてことの具体的な項目を結構想像したり。あるいは、もっと積極的にオフで会うことで、その人の何かを知ってみようとする、という動機を思いついた。例えばtwitterや、mixiなどもかなあ、あくまで一端とはいえ、その人の日常や嗜好を知って興味がわいたりしたら、その延長上に「会うこと」が浮かんできてもおかしくないように感じるけれど、どうだろう。きっかけであるところが特殊なコミュニティで、言うなら広い意味での出会い系サイトみたいに思うので、そう見れば特質からこれはこれで一環である。やっぱり特殊か。