http://data.tumblr.com/Hrma1AAOB2yi0q73SbSZKqiD_500.jpg
さゆの365日日めくりカレンダーゲット。1月1日正月は雑煮ですおもちをわんさかたいらげました。ちゃゆみんんん!さゆのほっぺたがお餅みたいにぷくーっとふくれるんだよぅ。しかし一枚目にしてもういやな予感がするな。1月2日おせち飽きたよー、おせちもいいけどおもちもね。ちゃゆみんんんん!さゆの白い肌の95%はお餅でできている、あとの5%?そんなことあたいに聞くんじゃないよファック。うーん、さゆにはあたいという一人称が似合いますね。といった具合で1月はのべつお餅の話で持ちきりだった餅重さゆみ、とモチモチモチが三並び、あなたきれいじゃなくて。ちなみに2月14日はクッキングペーパーの上でチョコを全身に浴びたさゆが「失敗!?」と、明らかに失敗ではなく意図的にチョコまみれになっている。素麺をさーっパラパラっとやったり、グラタンにバーナーで焦げ目をつけたり、すいかの種を口の周りに巧みに配置させるさゆ、土用の丑にやけにはしゃぐさゆ、恵方巻き、土手焼き、もんじゃ焼き・・・
ところで
http://data.tumblr.com/10502825_500.jpg
この画像でポイント高いところの一つに、ひざ下の靴下の跡が挙げられると思うのですが・・・いかがなものですか。軽く爪をたてたり、指の先でもいいですが、靴下の跡のだんだんをカタカタカタとなぞる時の愉悦ったらないわけです。あの無限プチプチはヒットしてるのかな。この「靴下の跡」は、比べるにまずもって効用が違うだろうけれど、頑張れば商品化、そしてヒットするんじゃないかな?と思います。

                                                              • -

亀井は思い起こしていた。
悪乗りよすぃこと楽屋でみきみき探検隊のパフォーマンスをしたこと。
 
みきみき探検隊
岩盤浴は趣味じゃない
みきみき探検隊
生放送で鼻すする
みきみき探検隊
焼肉焼いても家焼くな
みきみき探検隊
みきみき探検隊・・・
 
私だけティッシュの箱の角でしばかれた。
 
楽しいことを楽しいこととして、つらいことをそれとして思いだせる記憶が愛しい、誇らしい。彼女はうっすら夢想から覚めた。もう吉澤さんはいない。藤本さんもいない。でも私にはたくさんの誇らしい記憶がある。そしていつでもそれを呼び起こせるし、これから先も歩いてだっていける。
と思った矢先、きらり小春と光井の手のひらの上ににいることに気づく。私は彼女たちの梅干になった。東京産の梅干?おいしくないよ!楽屋の壁がガラガラと崩壊していって、向こうに見えるは小宇宙。ジュンジュンとリンリンは瞬時に完全に異国語に切り替えて何を言っているのかとんとわからなくなってしまった。「music is universal. It doesn't matter where I sing: China or Japan or outer space」だけはわかった。とりあえず狭い場所に入って落ち着こうと思うも、一歩先、さゆとお姉ちゃんがロッカーの間に滑り込むのだ。そして二人で黙ってこちらを見ている。
亀井はざわざわ不安になった。れいなはガキさんは、愛ちゃんはどこ?れいなはタナカめせんの絵描きに夢中でとりつくしまがない。ガキさんは真っ暗なラジオブースで独り喋っているようだった。ここで10年記念隊の新曲を聴いてください。高橋が流れてくる音楽にハーモニーをつけはじめる。いままでの亀井だったら、はたしてどうだっただろうか。でも、彼女には誇らしい過去の記憶と、今では、さらに「テキトー」とがある。余裕なのだ。
「なんていうこと!」
「これが、これが今のモーニング娘。なのよ」
少しうわずった自分の声にひるまないように、あわてないように、亀井はエリザベスキャメイの衣装に着替えんとしたが思い出して、愕然とする。そう、衣装はチョコレートで汚して自分の部屋のタンスの中に隠したまま!
 
と、テキストエディタに書きつけたところで、柴田あゆみが後ろから覗いているのに気づく。急いでエディタを閉じてごまかそうとしたら、壁紙が高橋愛の意匠でまたごまかすことになる。何故か妙に恥ずかしかったのだ。ハロヲタ高橋愛に対する自意識。「愛ちゃんがすきなの?」
 
マサオの似顔を描いたので見て欲しいと彼女はいう。見ると全く他人の顔だった。そしてモンタージュのようにいやなリアルだった。少なくとも俺が知っているマサオではない。俺は違うと言った、これはマサオじゃない。そう?じゃあ、あなた描いてみてよ。
これが
これがあなたのマサオなの?
そっかあ
と否定はない。そっかあ。
何故否定しないのか?結構でたらめなこのマサオの似顔。
 
PCはいつか自我に目覚めるだろうか。
俺は神様ではない。が、PCはひょっとして神様を要求するのじゃないか?操り手としての人間に神様であることを要求する?PCは俺に能力を与えて、ブクブク肥大化させる。けれど、それら能力はどんどん自分から離れていって、実に心もとないものだ。PCの方が操り手、というのはよくあるオチであるけれども、実際体験してみると、それほど呑気でもない。はたしてPCは不気味な箱になる。こいつには顔がある。
世界は一変する。他者地獄に、突入する。この他者の地獄は他者のいない真空の地獄なのだ。PCとしか生きられない俺。ブクブク肥大していく俺。
「柴田、俺を否定してくれ」
 
テキストエディタに書きつけたところで、高橋愛が後ろから覗いているのに気づく。急いでエディタを閉じたら、壁紙が柴田あゆみのそれだったがうろたえない。そこは恥ずかしがってごまかせよと壁紙が言った。
高橋が「たかはしやよ」とロリ声を出す。何だか不安にかられて愛しく抱きすくめた。思い通り過ぎるのだ。
俺は壁紙みたいな感触の高橋の耳元でささやき始める。「PC時代の実存の不安、メタの無間、2次創作とサンプル文化、共有文化で味付け」じゃあそのあと、あなたには何が残ってるの?「いやみと自虐だよ」
 
テキストエディタに書きつけたところでやっとこさ、主体としての自意識(作者)は消滅死した。21世紀の散文はそこからがスタート、とは周回何週遅れのランナーの弁か。これが本当の散文詩(死)であった。

                                                            • -

http://data.tumblr.com/c58auC3bT2yll4c081XZ0BPq_500.jpg
「とりあえず生きてみて下さい」宮崎駿の言をちらと見た。子どもは、この世に生まれてしまったらしょうがない。
本当のこと、より本当のことを知りながら、楽しいウソをつく、大法螺吹きになれるだろうか。本当のことを言って社会を乱す、楽しいウソをついて社会を乱す、どちらがよいか。どちらも磔にされうる。そういえば、およそ2000年前に磔にされた人の誕生日がもうすぐやってくる。
知らないほうがいいことってあるだろうか。知ってしまったらおしまい。でも、知る知らぬ、それを左右することなんて人間にはできない。それに何より、子どもを馬鹿にしてはいけないだろう。子どもはモンスターなのだから。社会性なんてそれこそ児戯に等しいものなのじゃないか?しかしもちろん社会性も馬鹿にはできない。だから馬鹿にしながら尊敬するんだ。これはレトリックに過ぎないだろうか。
世界を守る事はできない。まず自分を守って、余裕があれば、ほんの2,3人大事な人を大事にできること、それはとてもとても難しい。