ゆのまいねーむ
生チョコアイス空箱だけ冷凍庫で冷えてた・・・。どうしようもなく善人なので捨てたけれど、ドッキリボックスとして冷やし続けたらよかったと今思う。
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「心」はからだの外にある―「エコロジカルな私」の哲学 (NHKブックス)
- 作者: 河野哲也
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2006/02
- メディア: 単行本
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あと、生態学的な自己と主観哲学的な自己、どちらもまずプラグマティカルな立場からは両立しうる、と思った。加えるに上述の自己とは対置しうるであろう客観主義的な「自己」唯物的な「自己」など含めて。思弁が実践にどうつながっていくか。
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一人に慣れると、対人で「活発に」喋ることに億劫になる、とは言えるかしら。黙ってたら不安にさせてしまうだろうか。少しでも聞きたいことを思いつけばまったくその限りでない。シリアスでないのだ。いやいや、ただただ気分の問題なのか。だとしたらいつだってハイだとか、ダウナーだとか、それらのモードみたいなものを選ぶに汲々とすることが、社会性、社会的なあり方、責任と関係してくるだろうか、などと無責任に連想するも、やはり特別真剣でない。内的な気分の「社会的」な馴致、などといわず、ただ行動を習慣化しろ、ということだろうか。
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自分に子どもができたら、生の喜びを教えないといけない気はする。そんな自信はいまのところまったくない。生の喜びなんて書くと大層にも思うし、どちらかといえばそういう物言いに瞬発的にひねくれて、懐疑的になる。とはいえ元々既存の価値に絶望してるのではなく、ナチュラルに「望み」なんて持っていないだけなのだと極めてあっさり言ってのけられる。それらは自明に与えられるものではない。みんなで似たような夢、生の諸価値を見ている時代はあったのだろうか。実にそれらは「あった」ような記憶もあるが、今はなんとそれらの亡霊と必死で闘っているという事実、そのような実感の方がいっそう圧倒的であるように思われる。それらはあるときには死んだといわれたり、あるときにはまだ生きてて人を苦しめたり、何なら首を絞めて殺してやりたいが、それはわたしの首を絞めることでもあるのではないか。イデオロギー(笑)として排除するには少し内面化されすぎている。ところでイデオロギー(笑)と書いてるときは、笑いながら書いている。イデオロギー(怒)!これも笑いながら書いた。(笑)(怒)
目標という意味での夢や目的は考えられる、思惟される、追及されるが、それは希望や幸福とは別だ、と切り分けることに、例えば、問題解決のための手段だとかいったような意味があるとすると、ひとまず後者にはそれらが人間存在の「状態」であるということを特質として見出せそうだ。けどまあいいか。どっちが先?ということより、だましだましの循環のイメージ。
ここにおいても始めからも、能動的な主体的な人間像はこととしていない。わたしは怠け者である、ということから、何かを飛躍一般化するつもりはない。ケセラセラ。そうわたしは怠惰だし、だし何。そうだ、刹那的。下手な考え休むに似たりと馬の耳に念仏されたい。ずっと休んでいるのか。関係ないが、岡田さんが読みたい本の幾らもあるのなら同じ本を読むのは贅沢ではないかというようなことを言っていて、そだわとは思った。読みたい、し、読まないとだめなような気がする、などもある。モナドも計算していた、一年で100冊読むと、60年で6000冊だ。読みたいの読むに足りますか。でもわたしはその贅沢をよくやる。これは「鈍い」快楽のようにも思える。反復の快楽、知っている事柄をただただ過ぎる快楽。贅沢だ。わたしは一生を永遠に生きる。死にましぇん
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ともあれ一般的で価値的な言葉の「使い方」の問題は、あなたがわたしがその言葉をどのように使うか、説明するか、生きるかということにより解決し続けられる。
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さゆのグリーやたかしゃいのブログに亀が出てきてかわいいなあと思った。