てすてうs

袖のやたら長い古着Tシャツを着てる。「古着」いつまでも着てたい。40まで着てよう。素敵なデザインの衣服がざくざくあるよ。世界中の古着ワゴンセール。

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おしゃれとか粋な関係、人と人のデリケートなあり方を「レッツコミュニケーション」とはりきりながら破壊している気分になり、いや実際少なからずそうなのだろうと認識し、少し滅入った。大事にされている、愛おしく思われているものがそこにある、そんな風に見える。
わたしには時間が無い、そういうことでもない。時間はいつだって無いのだ。それに対してあせっているつもりはない。主に言葉によるコミュニケーションで事態を少しずつ展開していく、というと聞こえがよいだろうか。大したことでない。手持ちのカードを全開で見せ合って、すると、そこから新たに生まれる何かがあるかもしれない。ないかもしれない。大体いつもそんなに元気というわけでもないし。いずれにせよ、ちょっとした躊躇の心と、行為に乖離があるようで、なるようになってしまうとはいえ、恐ろしいことだ。時間は無いし、戻らない。せこい。飛躍して、わーたーしはーわたしがわからーないー、とリボンの騎士のフレーズを唄いルルルとごまかす。

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昨日のライブパーティ、わたしは当初の意気込みが二転三転する事態に巻き込まれながらも、結果的にそれなり以上によくやった、と己をほめたし、今もほめてあげたい。ナイス〜
「日本人なのだから日本ぽいサムシングを表現に織り交ぜろよ(少なくとも匂わせろよ)」というような物言いは外国の方からしばしば聞かれます・・・か?これは表面的な、被害妄想的な聞き取り方、受け取り方なのだろうか。別の角度から「折角なので日本的な何かを紹介してください」とか「あなたは日本という国の文物を歴史をいかように背負い現在日本人たりますか」とか直接間接問わず言われてる、のだよ。
端的にアイドンノージャパンだ。それらの知識をほとんど持っていない。それは恥ずべきなのだろうか、と疑問文ぽく書いてみるも、特別恥ずべきだとは思わないし、思うにいかなる意味でも「恥ずかしく」ない。恥の文化なんてフレーズを思い浮かべたけど、きっとまったく関係ない。
話として三点ぐらい思いついた。まず、日本の文物、歴史を知ること、知りたいと思うこと、大雑把にそれを生きることの「動機」についてで、それは普通に日本で暮らしていても勝手に降り落ちてくるものでないだろうということ。それを例えば「普通の感受」「日本人に自明のそれ、固有のそれ」などに帰せられたらどうだろう、返す言葉はない。私はそういうものに欠けてるのだろう。
三点をすぐメモっておけばよかったのに、忘れてしまった。多分、民族または国家の一員としてのアイデンティティ云々のはなしとか、教育によってそれらをどうこうすることの意義とか、でも、それらの「かくあるべき論」ではなくて、なら、どこに話を着地させたらいいのか、きっと現行の議論あるだろうと思うけど、知らないや。知らないから、少し知りたいとは思った、とだけ。