健康さん、科学さん、オカルトさん、自己暗示さん

体調子よくなったら嬉しい。それが持続的で副作用とか他のバランス失しないとかならもっと嬉しい、というはなし。何らかの健康増進のやり方が自分に合えばそれでよくて、別に人に勧めようと思わない。けど軽く勧めてしまったこともあったかもしれない。ひえー。すみません・・・。逆に、自分はそれでうまくいってるのに、外から何故否定しますか、という事態になったら、邪魔しないで!って叫びたい、のだけれど、手前の知識も有限でありますと反省すると、うーむ。でもうまくいってるならやっぱり邪魔してくれるな、と思うと思う。
懐疑の精神、反省の精神と、自己暗示あるいはそれに類する何かは、作用としては反対ぽくみえる。
年とったら、健康に気を配るようになるとか、できれば健康増進維持したくなるとか、実際あちこち不具合感じるから当座、でもよいので、いやできれば半永久的にそうであればいいのだけど、調子よくありたい。コンディションよくありたい。なので、色々本読むようになりました。けれど不精者はやはり不精自体から何とかせねばならぬのか。

整体入門 (ちくま文庫)

整体入門 (ちくま文庫)

背骨で呼吸するイメージってのが特に面白かった。概念、方法が難しい。
「ゆる」身体・脳革命 不可能を可能に変える27の実証 (講談社+α新書)

「ゆる」身体・脳革命 不可能を可能に変える27の実証 (講談社+α新書)

具体的な実践はやりやすい。あとちょっと気持ちいい。
他にも色々読んだけど、概して、文字や図から身体の動きを再現するのも、また自分が正しくその方法を遂行できてるのかどうかもきちんとは判断できないので、難しく感じますね。ただ、自分で何らかの運動することで新しく「快」を開発する、淡い感覚に「快」のラベル貼る、ってのは、ひとまずは(留保)いいのかなあ。
「健康」を判断する「科学」、根拠としての「科学」、規定する「科学」、そこからはみ出るもの、排除されるもの。概念枠が(西洋)科学に対象化される人間の身体、健康である、と言った時、それでもそれらにはまず高い有効性があるように思えるし(有効性だけを云々するものでない)、実際それらと通ずるであろう「医療」の対象である「身体」「健康」があってそれらは強力だ。恩恵を大いに受けている。でも、自分の中に何かしらもやもやを感じるのもまた事実だ。どうしましょう。