haai

孤独との付き合い方があって、それを意識的にか癒す、ごまかす対象、手段としてのウェブがある。
癒しの濫用を結果的にしか判断できないとすれば、慎重になるしかない。それは倫理的な責任につながる振る舞いだとは思う。他人を巻き込むのだから。といっても、孤独は分かち合えるものでもあるだろう。自分の孤独はどこまでも自分のものでしかないにしても。つまりお互い様だとして、笑い合えるのもいいかもしれない。
加害者になるのも被害者になるのもいやで、だとしたら、土台その二極のバランスの、振り分けのパーセンテージなのだ、とは明るい無邪気な考え方なのだろうか。孤独を抱え込むか、分かち合うか。誰と、誰たちと、か、何となのか。
そうだ今日は亀ちゃんの誕生日なのだ。わたしは孤独という単語で何を言い当てようとしているのか、未だわからない。単純に機械的な時間の過ごし方の問題だけだったら救われる。亀ちゃんのことを、笑顔を思い浮かべる時もやはり孤独だ。