1階
・デジタルデータは技術の問題。実名も匿名もデジタルデータとして一律に扱われる。
・動機、動悸、息切れ、道徳観などの諸規範はそこに原理的に介在できない。救心も介在できない。
 

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2階
・人を楽しませることをする人はとにかく人を楽しませることをする。芸人みたいなイメージ?同様に、人が困ることをする人はとにかく人が困ることをする。ブラクラへのリンクや、グロ画像へのリンクなどをはったり、実名や性癖、おしりにある双子のほくろなど、世にプライバシーといわれるもの、それらを操作し(拡大縮小毀誉褒貶など)デジタルデータにしてネットの海に流したりする。この建物の構造の意義を知っていて(床、天井はガラス張りで見える。1階にはこちらからは、働きかけられないけれども、逆は可である、3階に関しては1階と反対の関係、といったようなこと)、それらの関係を関係としてただ「即物的に」利用する。
・困る、嫌だと訴えても、そこには崇高な理念や、深遠たる思想、厳密な理屈などがあって(あるいはまったくなくて)、困るといわれても困る、と言われうる。逆に何故困るのか?と問われることもある。楽しいにしても、困るにしても、それらは3階、天井の上から聞こえてくる呼び声みたいなもの。3階側は、うるせー!って叫び返されたらいい方で、音声録音されてたりする事もある。もっとひどい事もある、らしい。
・というわけで、徳義の叫びが聞こえても、直接はたらきにはならない。ここでは道徳などはいまだ有効でない。幽霊みたいな存在でうろついている。音声の反射のような。
・「はなせばわかる」といってみても撃たれる。ところで、自分の親類が誰かに殺されたとして、その相手に仇討ちする場合、名分があるとはいえ殺人になるが、法律なんてどうでもいい、あるいは法を侵すのはとても辛い、道徳感情でも辛い、それでもどうしても討ちたい、という事態を想定してみるに、そこには個人が抱えるには多大なリスクがある。自分は殺人犯になる。刑法の対象になる(という言い方が正しいのかどうか)。また、相手に逆襲され命を落とす事もあるだろう。ネット上でのリスク計算と対照できるのではないか?ネットで人殺しすることの、総じて行為することのリスク。
・君子危うきに技術的に近寄らず。技術的にプロテクトしよう。コメント欄を閉じる、トラックバックを切る、アクセス禁止など。
・でも、技術に強い奴(ハッカークラッカー)が一番強い。沼の主みたいにどこかにいるのかも。実際何かされててもわからないだけかも。ただ、そういうお方々の存在は、「もったいないお化け」とか嘘ついたら閻魔様に舌抜かれるとか言う俚諺だったりして。「君、悪いことしてたら、PCハックされるぞ、HAHAHA」
 

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3階
・正当化対正当化のマッチレース、真理対真理のパンクラチオン(言いたかった)が始まる地点がある。議論とも呼ばれうる。何のための議論なのか?目的がある時がある。無い時もある。実名匿名通名顕名の議論の花が咲くのはこの次元、少なくともここから床を乗り越えて、技術に働きかけることが始まるのではないか。それは技術対技術なのか、技術対法律、道徳など諸規範なのか。床はガラス張りで丸見えなので、容易く働きかける事ができそうだが、まったくそういうことはない。3階なんだけど1階と錯覚したり。
・その普遍性はまったくないけれど、道徳など諸規範が作用する事がありうる。これはいまや奇跡かも。極端。程度問題だが、世界が狭かったら、それに従わなければならないところの、規範の有効性が相対的にあがる。しかし世界は途方もなく広くなった。それに従う形(内在的連関)でリスクもコストも希薄になった。
・そして同時に、世界はとても狭くなった。こそこそ喋ってても、拡声器使ったみたいになったり。50km先からスナイパーに狙撃されたりする。石を投げたらサンパウロヨハネスブルグとイロマンゴ島に住んでる人に同時に当たってしまってビックリする、など。
・人の気持ちを考えて行動したり、シンパシーを感じたりすること。けんかしてもしょうがないしなあ、とか。でもあいつは許せねえ、とか。まあでもここまでにするか、とか。関係なく過ごせるなら無関係で、とか。
・ここにおいて善と悪って何だろう、って思う。善は悪を為さないこと?