僕はさらっと普通にネタと読みました。斧屋さん。さらっと普通にネタと読みましたアピールでヤな奴(←ここ引用はてなスター用です!)気取りでいい気分です。
 

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(ネット)コミュニケーションの非対称性については、今更だろうけれど。例えばあらかじめ「これはネタで〜すイェイイェイ」って言っても、殴られる時ありますよね。それは「そうありうる」という意味では勿論現実世界のコミュニケーションでも同じですし。ただ現実世界のほうが、今のところ、文脈多いし情報が多元的だし、またリスクが即物的で、高いから、そういう事態は可能性としては少なくなるだろうと。反比例して、現象としては、冗談が冗談になりうる、ネタがネタになりうる可能性が高い、と。
 
そういうコミュニケーションを成立させてくれるようなものとしての、ファッションやモード、ルール、ゲームがあったりする。でもそれは当然非対称性を決定的に埋められるわけではない。「空気読め」がこの辺りで発生します。折角の対称性をわやくちゃにするな、と。そこからは更に「空気読め」をネタにしたメタ的なネタをベタに実践する人もでてきます。
 
ネット技術の情報一元的管理に対して、ネット技術の外である程度通用している、規範的な道徳や倫理をもちだしても本質的にはどうしようもない、という経験はきっと誰しもがしてると想像します。無断リンク禁止は、そういう規範に期待できない。リンクされたくなければ、ネット技術によってリンク不可能にするしかない。でも禁止と言われて、そうですか、わかりましたとリンクしない人もいます。その人は例えば既存の道徳を根拠にするかもしれない。ともあれ、そういう意味で、ネット技術はコミュニケーションの本来的な非対称性をクリアに示してくれているといえる。
 
「ネット/リアル」「ネタ/メタ/ベタ」という区分、概念はネットコミュニケーションを説明するに、何かと便利「だった」けれど、これらを使っている人たちってもう地球人じゃなくて、異星人なんじゃないですか?僕は自分が異星人になった気分になります。故郷が無い異星人です。ちょっとロマンチックに言い過ぎたな。要は、異質さ、他者性の強調なのですが、例えば新人類とかゆとり世代とかそんなレベルではないんじゃないだろうか、と。で、そんな異星人ながら、自分が異星人である事は、何かある隠蔽された前提に立っているからこそなんじゃないかって、不安になったりするんですね。実に奇妙です。あるいは前提を隠蔽している!なんて言ってみたり。実に奇妙。これは、僕はウンモ星人なんです、と告白するのとは違います。別にウンモ星人の存在を否定するわけではありません。
 
またここで「ネット使わないリアルしかない棚田で田植えするおばあちゃん」問題を出します。問題っていいながら、何がどう問題なのか、僕ははっきりわからないのですが、これが問題ならこの問題は面白くないですかね?僕は何故か分からないのですが、面白いような気がするのです。なので、皆さんで面白くしてください!