究極仮想現実空間の野生児は、俺たちか。想像力を飛躍的になめしてくれるヴァーチャルリアルテクノロジーの功績。全体性という言葉は曲者だ。全体性において、リアル=ネット(ヴァーチャルリアルに連なるものとしてのそれ)になったら、両者を区別することは原理的にできない、と考えてしまう、過渡期。リアルと現実は対応しない。リアルとネット両者合わせてやっと現実に対応する、細大もらさず、と考えてしまう、過渡期。たとえば、夢(妄想、狂気、異常心理)は現実であるが、それらがそれらとしてある限りで現実である、という風にして両者を区別できる。夢が夢でないと困るのは、そのことで現実に支障をきたすと困るから、というのが現実的な現実の戦略。現実は連続性だったり因果性によって(一応)その身を保障される。現実はみんなに共有される。現実は秩序のために想定されるトポスだ、プロトコルだ、約束だ。