http://d.hatena.ne.jp/Imamu/20070930/p1
 
アイドルマスター初音ミクも全然興味ない・・・ニコニコも見たことない。ニコニコは色々めんどくさそうってのもあるけど。youtubeとどう違うの?ってレベルの認識だし。youtubeと違う風に遊べない/ニコニコの遊びが遊べない。
 
ハロプロって何次元だっけか。3じゃないよね。もしくは含みのある「3」。としてもあまり変わらないのか。夢想的かどうか、ハロプロを旧来的なアイドルと切り分けたいって動機が強くあるからなあ。Perfumeはアイドル?そうじゃないと思ってた。いつかそうなるかも。こんな言いかたしたら、アイドルって惰性態みたいに聞こえるか。やっぱ概念って鈍臭いよ、という責任転嫁。
 

三次元アイドルが歌っているPVやライブ映像を見ることと
アイドルマスターのキャラクターたちが歌っている動画を見ることは同じでしょうか?

アイドルオタクはアイドルマスターや初音ミクに興味あるの?SM写真。 - 死に忘れましたわ

僕はハロプロメンバーのPVやライブ映像の何を見てるか?またはそれらに何を求めるか?
作品?エンターテインメント?即物的な感情?人間性
ひっくるめて多層的な物語といったところで、それらは二次元のそれらの映像を見るときの対象、得られるものとどう違うのか?人間性を殊更強調しても、それは量的な差異に過ぎない、として、両者の区別は解消されるかもしれない。二次元に人間を見ること?できないことはない(二つのニュアンス:指向としての「能う」と所与のものとしての全能感)!という風。

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「ネタ」という契機は、参加の仕方の選択性、制限性から由来する。「三次元終了」という決別宣言によって、二次元をたくましく開拓していく気概、それが当の決別の対象たる三次元的な要素を志向するものであっても。分解能の精度の問題がそこでは全て。でもきっとだからこそ「ネタ」って概念は過渡期的な概念ということになるだろうか。「ネタ/ベタ」の原理的な区別不能という事態はすでにあって、あとは現実的な区別不能の恐慌がやってくるだけ。そこで「三次元終わってない!」と頑張ってもいい、というシニック。そんなシニックの打破の、打破の、打破の、打破・・・(メタ)という「ベタ」。

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ちょっと違うけど、ハロプロ内の話。コンサートで彼女たちを見ることと家でDVDで彼女たちを見ることとはほんとにそんなに違う?って。これ最後の防波堤の一つとして。

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人類史最強のデジタルマシンが、「アナログ終了」と決別宣言を出す。バベルの塔の最上階。ヴァーチャルリアルへの過度な期待(?憧れ?)がここにはあるが、思考実験として。類概念としての人類は終わる。人類は人類史最高程度で孤独になる。予兆はもうある。別に悲しくなんてないわ、とツンデレするもよし。ああ、ネットは予言者とロックスターと詩人、哲人に事欠かないぜ。ずっと199×年のネットワールド。って僕だけ調子こいてても気にしない!と言っていたあいつ、影で笑われてる&嫌われてるんだぜヒソヒソ、なんて、うらぶれた想像をしてみました・・・すみません。

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意味に回収されない「無意味」いや「意味以前」の「?」。合目的も資本主義的歴史も本能も絡み取れないような、そんな「?」。交換できない「?」。希望でも絶望でもあるような。