あなたに出逢えて
一人旅がつまらなくなってしまった
あなたに出逢えて
美しい景色を見ると泣きたくなった
あなたに出逢えて
切ない痛みを知った
あなたに出逢えて
本当の涙を流した
 
切ない痛み 本当の涙
生きているということの本当の意味
 
あなたに出逢えて
あしたが待ち遠しくなった
 
生きているということの
生き続けて行くことの
本当の意味を
愛するということの
愛されるということの
喜びと悲しみと難しさ・・・
 
あなたに出逢えて
本当の優しさを考えた
 
あなたに出逢えて
一人が寂しくなくなった
 
「あなたに出逢えて」谷村有美

あややが唄わなかったらきっと出逢わなかっただろう唄。
 
この唄には「わたし」がそれとして出てこない。「あなた」への思いを訥々と表白する主体としてそれは陰影的に浮かび上がる。このネガの「わたし」は「あなた」に仮託して「わたし」を肯定している、実に「わたし」の賛歌じゃないだろうか。
 
「偽善」という形容は己の思考停止の宣言でしかない。それは人間行為の規範に対するナイーブな見誤りで惰性だ。
わたしは、わたしとわたし以外の誰かの幸福や不幸は、残念ながら(というべきか)絶対比較できないと考えるようになった。薄情かな。これは心(的な何か、良心とか同情心とか親切心とか)の問題ではない。それでも比較しようとしてしまうのが人間であり、そこに悲喜があるわけだが。
星新一ショートショートに(タイトル忘れた)、幸せを司る何か怪獣のようなものと遭遇した青年が自分と他人の幸不幸を較べさせられて、結局自分が持っていた幸福を失ってしまうというものがあった。皮肉なおはなし。
 
わたしはわたしを肯定することでわたしをギリギリまで追い詰める。その態度は倫理的にも独我論の側面を持つかもしれない。いえば独善でしかありえないかもしれない。そしてなにより、その先に幸福があるのか、他人への突破があるのか、わかりはしない。
 
あなたを唄うことでわたしを唄う、そしてそのことで再びあなたを唄うことができるだろうか。この理屈がただのレトリック以上の意味を持ったらいいなあと思う。