俺は二人の人間に分裂して、やぐの前で闘うことにした。勝った方がやぐを貰うからな。
 
「擬似恋愛か、本当の恋愛か、それが問題だ、やぐ、いやちがう、やぐ落ち着け落ち着くんだ。恋愛に本当も擬似もあるもんか、なんていったら、それは屁理屈だといわれる、運が悪ければ、あいつは恋愛したことないヤツだなどと後ろ指を差される。本当の、もう少し穏当に言ってみて、一般的な恋愛においては、他者、つまり恋愛の対象とのコミュニケーションが欠くべからざる要素であり、それが「現実」のおとしどころとやらで、ひとまずその「現実性」とやらを抜きにしても、その要素が恋愛の擬似か本当かの判断根拠たりうる、という結論はなるほど論理的には一つ正しそうだ。「現実」はおせっかいだ。そして「現実」の奴隷になったヤツがルサンチマンを発揮して、お前も現実を見ろ、という。だがここでそれは奴隷根性ではないか、などとついぞ放言してはならない。俺が妄想の奴隷なら、お前は現実の奴隷だ、同じ奴隷には変りない、などと言い放つが最後、奴隷同士の血まみれの殺し合いが展開されることは想像に難くないからだ。運よく彼が怜悧な現実主義者か、鈍感な阿呆のお人よしであるなら、こう忠告されるだけですむ、それじゃあ勝手にしろ、お前の好きにするがいい、しかしそれはお前のその妄想とやらが現実を侵さない限りで、だ、と。この状況において、互いに管理しあった自由の尊厳、奴隷の自由が確立されることになる。お互いがお互いの自由を尊重しけん制しあう理想的状況である。素晴らしい。
さて話を戻し、ここで一つ提案として、我々は擬似恋愛から擬似をとっぱらいませんか、と言いたい。何となればその形容は卑屈に過ぎるからである。それは恋愛なんだ、紛うことなき恋愛なのだ。擬似恋愛、それはファンの自尊心をグラグラ脅かす。アイドルファンはプライドを持たなければならない。お金を出しているから、相手が芸能人だから、現実的でないから、それは擬似であるというのは、我々のプライドをスポイルしこそすれ、高めはしまい。擬似恋愛ができなくなったから、あるいは、それを予防する為に、ある対象を非難する、また、職務放棄だ、詐欺だ、クーリングオフだ、物語の転覆だ、価値の失墜だ、アイドルを辞めろ、などとのたまうのは、実に矛盾あるいは無力の先鋭化なのである。つまり、擬似であると主張することが逆に足かせとなっていて、例えば、本当に擬似なら、または擬似に力点が置かれるなら、アイドルの恋愛それ自体は全く不問であるし、また広義での公憤(職務放棄などに対する)や、消費者の権利の手段としてのアピールという異なる次元の戦略的方法も一面的に過ぎる、その有効性は極めて限定的なものである、と考えられるわけで、擬似が擬似である限り、やはり焦点が合わないことになる」
 
「言葉尻にとらわれすぎだ。ひとくちに恋愛といったって、「恋愛感情そのもの」「好きという気持ち」「相手をいとおしく思う」「いつくしむ」「片想い」「両思い」「どうしようもない性欲」色々あるじゃないか。それらの差異を全く無視するなど、暴論もいいところだ。お金を出して築かれるような恋愛関係が擬似でなくて、何なのか。それは冷めているからこその発言などではない、常識からの単なる関係の描写だ。そして常識はその領分を守る限り有効であるだろう。お前こそ常識に、現実にコンプレックスを、あるいはルサンチマンを抱いているのではないか」
 
「さあ、そうかもしれない。しかし、アイドルを大事に思う気持ち、可愛いと思う、応援したいと思う気持ち、これを擬似であると自ら貶める理由なんてどこにあるのだ。例え常識がそうだからとして。お前の言う常識を借りるのなら、「擬似」という言葉にはそもそもある価値が、常識的に言って本物ではない何かであるという価値が潜んでいる。何故そんなに卑屈になるのか」
 
「お前は無闇にアイドルをかばおうとしているな。それこそ不思議なことだ。俺は卑屈になどなってはいない。擬似かどうかなんて言葉の使用の問題だ」
 
「危機が生じた「から」、私は恋愛していた。それが恋愛であったことに気づいた。これは極端だとしても、夢の中で、それが夢であることに気づくことはやはりまれである。
わたしはあややにフラれ、やぐにフラれ、あいぼんにいなくなられ、こんこんに学業を選ばれ、まこっちゃんに留学を選ばれ、ののに嫁がれ、みきてぃに恋人がいることを知った*1。0勝7敗。
100歩譲って、恋人がいてもいいから、ばれないでと叫び、10000歩譲って、恋人がいてもいいから、いなくならないでと叫び、左の0は0のまま、右の数字だけがむなしく増えていく。できれば右の数字は増えて欲しくない。勝敗は無論比喩だ。
「擬似」恋愛は心理的防衛のための概念だ。誰だって傷つかないで済むならそれがいいとはいえよう。でも、恋愛に危機が生じたからといって、それを擬似にすることで、心理的負担を軽減させたり、グシャグシャに潰された自我を救うことなんてできない、そしてそのことを我々は知っているのではないか?
これは心理分析などではない」
 
「みんなハロプロが好きで、ハロプロに恋愛している。そしてその恋路の邪魔をするんじゃないと怒っている。
お前は、俺は、フラれた。それでも引き続き恋愛を望めるか。金を時間を返せとごねるか。けじめをつけろと弾劾するか。
これは恋愛の話だ」
 
突然、負けた方は亀井絵里に慰めてもらえる、というアナウンスがなされた。
俺たちは更に四人に分裂して、デスマッチを繰り広げる。マットには血などが飛び散った。←ここがオチ
 
「アイドル失格だ!アイドル辞めちまえ!」
 
「アイドルなんて類概念はうんこだ。彼女たち一人ひとりが特別なジャンルなんだ」
 
ハロプロ全員大好きです。全員とお付き合いしたい」ドガ
 
「3つまた4つまた当たり前、そんな二人の純愛」ばちこーん
 
「ねえ私達ってつきあってるんだよね?」oops
 
「お前の体と汗のにおいだけ好き」バシッ
 
「フラれた瞬間に脳が自死した男」ズキューン
 
「70年妄想未亡人で往生した女」
 
「恋愛にも「擬似」相対主義はない」
 
やぐ!亀子!君たち4人ずつに分かれてくれんか」
 
「それが既成のアイドルシステムだろうが!一人に一人」
 
「システムの告発なんてできないぞ。どうしたって俺たちは奴隷なんだからな」
 
「わかってるさ、奴隷にしかできないことがあるんだそれは」
 
(つづかない)
 

*1:あしからず私にとっての「真実」の並列列挙である