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アイドルという概念に対するハロヲタについて、考えた。
・アイドル新古典主義
従来の「アイドル」概念、「アイドル」像、共有されていると考えられるそれらを保護せんとする主義主張。
原理主義→
旧来のアイドル概念を強固に主張し、そこにおいては死する事もいとわない。原理を守る現実的な手段としてまれに「消費者の権利」やテロ(それら原理を脅かす現実的な物事に対する物理的排除)を持ち出す場合がある。
右派→
時代は移り状況は変れども、やはり「アイドル」の本質は常に変らないと考える。「アイドル」であることがその「アイドル」自身を現実的に保護、維持しうることから、この主張をとるというプラグマティックな側面もある。
左派→
当の「アイドル」概念を適宜刷新改変捏造したりする。そのためそこで扱われる「アイドル」概念の同一性については諸説あるだろう。その行動の一例として、「アイドル」概念にそぐわないアイドルからは離れ、新しい別の「アイドル」へと移行できる場合がある。
・大ハロプロ主義
ハロプロは従来のアイドル概念と本質的に一線を画す、と考える主義主張。元々アイドルファンではない(あるいはアイドルファンの素養をもたない)場合もある。例えば、ハロプロでアイドルに目覚めたと判断されることに不満なんだ、と叫びたかったりする。原理主義→他のアイドルには全く興味ありません。ハロプロはハロプロですから。
・神秘主義へつながる場合もある。
・つんくさんを過度に神聖視する場合がある。
右派→いわゆるアイドルとは違うからなあ、ハロプロは。その場合ハロプロの特殊として「物語」を持ち出す場合がある。
・極右になると他のアイドルファンと対決せんとする場合がある。ハロプロが勝利する日まで我々は戦う。
左派→主語と述語を転倒させる。「ハロプロ」が「アイドル」なのではなく、「アイドル」が「ハロプロ」なのである。包含関係の逆転。
・アイドルニューヒューマニズム
アイドルとの関係を人間主義的に引き受けんとする立場。現代社会におけるアイドルとそれを享受する者の関係とは。よりよいあり方とは。
・アイドルアナーキズム
萌え派→
アイドルは「萌え」です。「萌え」の動物。「萌え」を食べて生きる。ハロプロの萌えの特殊として「物語」を援用的に持ち出す場合がある。
物語派→
アイドルを「物語」で読む。ASAYAN的。大きな物語(ここでは例えば人間の成長など)派と小さな物語(個々の有意なイベントなど)派に分かれる。
統合派→
物語一元論、萌え一元論、へと一極化する、もしくは積極的に折衷する。あるいは二元論として統合的連関的に関係づける。
快楽還元主義→
♂と♀の関係を生物的、生理的、文化的などの様々なレベルでの快楽に還元し、生産→解消することを信条とする、というか快楽ですから、信条なんてない場合もある。
推し一元主義→
・神秘主義
「推しメン」と同化する。精神的に合一する。曼荼羅の中心に「推しメン=我」がある。我推す故に我あり。
・派閥主義
「推す」という行為の政治的側面をいかんなく発揮する場合もある。政治的道具としての「推し」。
・脱構築主義
アイドル概念を脱構築する。つまり旧来の「アイドル」概念における価値の序列やら位置やらを壊さんとする方法主義。ポストモダン的。趣味派→
アイドル、その鑑賞は純然たる趣味です。読書、スポーツ、音楽鑑賞、アイドル、乗馬、みたいな。履歴書の趣味特技欄に「アイドル」って書いてもいいだろ!
・まれに、ただのひねくれもの・天邪鬼、マゾヒスト、革命家などの資質を持つ場合がある。
文化系→
アイドルは文化です。
・サブカル路線など。違う批評軸、価値軸から「アイドル」を取り込んでいく。
体育会系→
コンサはスポーツだ、根性だ。思いこんだら。
*1:この場合、「個人」の対極として要請される「大衆」。個人の集合を意味しない。そこでは個人における「責任」が拡散してしまって、見えない