・「萌え」史観(ヲタ/非ヲタ)→マジックワード「カワイイ」

ハロプロにおける「萌え」とその動向
 

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ハロプロヲタからすれば、ハロヲタ一般にいつからか「萌え」が制度化(身体化・感性化、言語化)されている、あるいは、それらが一般の能動的な所作によって共有されているということは、一定の確信を持って言われうる、といえる。誰かハロヲタが「みきてぃのあややといる時の態度」、「えりりんの舌足らずな発音の仕方」が「萌える」と言ったら、その発言が何を意味しているのか、どういう内容なのかということを聴き手のハロヲタは「了解」できる(あるいは「了解」できない、つまり「萌え」ない)。「萌え」がコード化され、共有されている、そういう土壌が、前提がある。「萌え」についての言説が溢れ、コミュニケーションが成立する。そのような各種事態の成立、もっといって根本にある前提自体について、否定的な見解を、つまり、そういう前提は存在しないというような見解を一ハロヲタが示すことには、やはり無理があるといって差し支えないだろう。それ(ある特定の事象)には「萌え」ない、という感受の相違、そういった感受にまつわる例えば、「萌え」が知覚のレベルにあるのか、言語のそれなのか、といった認識論的な問題、あるいは次元を異にして、「萌え」のハロプロ的価値、ハロプロ的価値における「萌え」のプライオリティについての異見、疑義などが提示されるのは、全てその前提が共有されていてこそであり、それ自体を揺るがせにするものなどではありえず、逆に強固なものとするのではないか。飛躍すると、これは「ヲタの論理」(こういってよければ「防衛論理、縄張り論理、排他論理」など)一般として成り立つし、それはそれとして既に議論の展開がなされていてもおかしくはない。
 

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では、そんなハロプロの「萌え」とはどのようなものか。
その出自と、特性についての議論が続く。
 
マジックワード「カワイイ」との対抗
「かわいい」という言葉の包含(「キモい」の発生とも関わってきそう)の異変。
それとヲタにおける「萌え」の関係
 
ハロプロの「萌え」の由来
・その成立事情、履歴
 
ハロプロの現行の「萌え」≒キャラ
エレンさんの先行議論。
 
ハロプロ的「物語」価値との関係
「萌え」は即自的ではなく、そこには既に「物語」が潜行しているのではないか?
認識論の次元で感性的な「萌え」が揺らぐか。
 
・「萌え」というプロ意識
「萌え」のゲシュタルト、定型が成立しているとして、創出する側、つまりハロメンがプロ意識としてそれらを繰り出す。こうすればヲタは喜ぶだろうな、という「萌え」がハロメンに共有されているということは、想像はできる。が、勿論それらはまず感性的であるし(「感性」レベル自体の優劣は問われない)、そういう意味では、直接的でいまだ「萌え」ではない、と言いうるかもしれない。言い方は悪いがそれは惰性の「萌え」であるという発想がここに成立する。認識論に引き戻すならそれはどう捉え直されるか。
 

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続くであろう