人生はやりなおしがきかない、というアナウンスはなぜ人気がないのだろうか。できるだけ小さいときから好きなことを見つける努力をして、知識や技術を得ると、人生には大きなアドバンテージがある、というアナウンスがこれほどまでに不足しているのはどうしてだろうか

・・10年以上前の文章で、好きなことがなく市場競争で通用する技術も知識もないフリーターに未来はないという話の後。ニートって単語もまだ紹介される前ですかね。
・いかめしい「市場で競争」って言い方はなぜかどこかこそばゆい。でもより非熟練的な労働が労働人口のグローバルな流動によって低廉化してく云々などと聞けば当然穏やかでない。ここにちょっと書いてあった。これは5,6年前のだけど面白い本でした。実際ちょびちょび労働力安くなっていってるのかな。デフレとか雇用統計とか関係あるよね、多分。経済のメカニズムを知りたいです。それはともかく、じゃあ、どうしていくか?
・・自助努力という言葉を使うも何もなく、誰も国も個人を「助ける」ことはできない(と考えておくのがいいのでは)ので、とりあえず現行の制度(雇用とか会社とか業界とか漸減するとしても制度は残る)でしっかりおやりよ、そして剣を磨けよ、と。それには「大志」とか「夢」とか「欲望」とか必要なんでしょうか。もっともっと、そうだ、ひりつく「生」か。どうかな。それら呼び方はともかく、まあ生産労働に対する規範、ぐらいになるかな。それって空から急に降ってくるものでもないだろう。環境かな。欲望だらけの街に繰り出したら、欲望にあてられる、というような。食べ物なくなったら動き出す、とか。まあ、「小志」ぐらいでもいいと思うんだけど。呼び方はいいよ。
・・あるいは耽美的に没落する、とか、耽美よくわからないけれど、そういうのあるのでしょうか。ずんずん貧しくなっていってそこでたゆたい続けるような、静的な緩慢な。
・・伝統的な価値観、国家的なそれの再生産イデオロギーみたいなのに対する、サイレントテロもここらで輝くのかな。
・・完全に競争から抜ける、競争人数がより少ないところへいく、など。
・競争で勝負できる専門家、スペシャリストになるには悠長ではいけない、ですよね?それこそ、村上龍の引用の話。
・・そう「競争」つっても、一部のスペシャリストが鞘当てするイメージは連想付け何となくできるけど(イメージの意味の有無はともかく)、一つの職能ヒエラルキーに個々人が統合されてるでもないのだから(あるいは、神さまの職能マッチングはない説)、そこそこでやれそう、でもそこそこがそれほど甘くないんだよ!ぐらいなのではないか、と。大口を叩くつもりもなかったのですが・・・。神さまの職能マッチング説は最強に最適な人的資本効率分配だよね。きっと大きなヒエラルキーに統合されることなのです。競争の余地もないのか?でもグローバリズムってそっち向きではあるのかな。
・・・これがわが社のスペシャリスト(会社営業活動のひとまず取替えきかない一部分)です!になるべし、ということでしょうか。
・そうそう
ってそんなのあったらみんな知りたいし、知ってたら黙るわいということですよね。
・おー!やりなおしきかない人生で、アドバンテージ無くそのやりなおしきかなさをどうにかして生きていく、という動機を見出しました。