どっこい生きてるの「ど」

やあやあ。
「普通の」人間になることって大変ね、とその「普通」の何であるかもわからぬまま、何となくのイメージで、満つることも欠くることも知らず、日がな夜がなをただただやり過ごしている、のだろうか。うむ、いいぞ…、こういうどっちつかずに空をきるきるどんよりあがきめいた出だしはよい。敏さはなくて重いだけのパンチがある…。なんて、まるで他人事のようではないだろうか。きっと実際のところ半分ぐらいはそうなのだろう、そんな風に適当に言ってのけた判断って結構叶うらしいよ(DAYONE-!)。嘘、嘘(EEEEE-!)。ともあれ「普通」はおよそ自動でやってくるものなんかでなくって(そういうイメージでしたよね?)、いや、そんじょそこらのそのあたりにあるものでもなくって、じゃあ、と、全くどこにでもないものであるか!ムニャムニャとも言えず、じゃあじゃあ、何なのか、知らない。面倒くさーい。
天秤の向こうにどんなものをかけてもいいのだが、いいのだがといいつつも余りにステレオタイプな例しかかけられないのだが、昭和の成長期のサラリーメンでも、はたまた直近の飢餓の子たちでも、原始時代の苦労原始人たちでも、かけてみて、どうですかね。やっぱり向こう側はずっと重いですかね。こちら側は何かって?フフフ
思想という名の屁理屈という名のおためごかしを滔滔と語り再生産に一切関わらず、消費と破壊と、あとなんだろう思いつかないけれども、そういったものにだけいい顔をする輩は太陽に飛び込んでですね、燃え尽きる瞬間に何色かの炎をフシューとあげてですね、え?どれ?どの炎なの?まばたきしてたよ!もう一回!って、頭がこんがらがってきたわ。自己批判って対象を自己オンリー限定するのにも難しいよね。そうだ、今年は素直になるんです。いや今思いついたんだーい。だからさ、こういうちょっとひねくれた文章書くのどうなの?書いてて楽しいの?自分の文章、好きですよー。そしてここはチラシの表です。そんなことどうでもいいなー、と言いながらやっぱり書くのよ。

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こういうのって青臭いんですかね?32歳になるのですが…。時に、年齢について言及することも習慣の一部に過ぎないとしたらどうだろう、大したものだねー。つかまああれだ、生物だからな、だから年齢確認が習慣の一部、生活の一部である、いや一部でしかないとしてもだ、実際生物であることの方が圧倒的に要素として強いから、まああれだ。「体は言い訳しない」。誰が言ったの…?この言葉。何でまるで大層な昔の偉い人の引用みたいにカギ括弧に入ってるの、怖い。「体」から飛び出して行きたいよね!んー幽魂の離脱などじゃないよ?たださ、幾つになっても自分の年齢にいいわけしてるようでさ、じゃあどうやって受け止めるかね、無視するのでもなく、無理するのでもなく、現状認識として。それでもまあ今まできっとよく生きてきたよね!いい意味で言ってますよ!これらは叫びですよ!
私は職業訓練を受け早二月が経ち、訓練された何者かになりつつあります。文章にも切れがあると思いませんか?あけましておめでとうございます(みんな、ちゃんと、してる)。