つらりつらり

レーベルのhtmlを作っていると面倒くさくなったので
http://iwaoka0.jottit.com/
もこしらえました。
 

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id:altaのナガモトさんに色々書いてもらって率直に嬉しい。http://d.hatena.ne.jp/alta/20100510
 
わたしはどこから書けばいいのか、ともあれ、自分が好きなことをやってる、好きな曲を実現したいと思ってる、と記してみたらとても淡白なものだ。でもそれに尽きる、と発言することがわたしの一つの態度ではある。それは責任です。いくら補完の物言いを並べてもあっさり。
ナガモトさんの「定形」「不定形」は大きく制作・演出のスタイルのそれであり、あるいはまた、リンクテクノロジーにおける一側面のはなしでもある。後者は後者で大きい話だが、それだけで切り出していくと、バランスを失するかもしれない。少なくともナガモトさんの文脈に直接は接続できないかも。それでもひとまず。
ウェブは熱いうちに叩く、そうわたしは考えて、それは怠惰なわたしの自戒からだ。ウェブで失ったものは同じ顔をして戻らない。現実でモノを人をなくすのとは、やはり違う。そう考えてる。そのような考えは特別なものではきっとない。皆も自然にか意識的にかそう振舞っていることだろう。
音源をおいてもらっていたnextmusicが無くなった。繋がっていたリンクがいきなり繋がらなくなる、そういうことはままあることだ。それが作品へのリンクなら?いや、その対象が何であれ、せっかくのアクセスが無駄になり、単純に機会の損失になる。ロストはアクセスするものされるものどちらにも不幸、そう思える。ただ、もともとなんで繋がってるのかわからないようなものなのだ。まったく当たり前じゃない。
しめっぽくならず、カラカラ繋がる、リンク切れたなら、また繋がる、繋げる。そういう営為をみんな飽かずずっと続けている。それは人間コンテンツの側面、そういう風に捉えられる営為でもあろうし、リンクテクノロジーでログテクノロジーだ。わたしはまた音源を置くことができた。リンクを張ることができた。
作品とは何だろう。その輪郭はあるようなないような、いやむしろなしで、有機的に全部結合してるような、そんな神秘論めいた言い方はともかくとしても、、、奇しくも読んでた

電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)

電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)

本、出版に限らず、大きくウェブコンテンツのおはなし、そのこれからのこと、としても読めるのだが、実際音楽の事例も載っていて、じゃあその上で、もっともっと、大雑把に作品制作創作論だけとしてラディカルぽく?抽出するなら、作者と受け手と作品という三位一体はグルグル溶解が見える。その媒質がソーシャルコミュニティで、作品という情報の結晶はそれら内部の有機的な事故の一瞬だ。何重もの意味において、半分以上いやほとんど全部正当にわたしは一作品の一作者でない。それがソーシャルコミュニティテクノロジーで先鋭化する。
誰かがある作品の作者であるという主張が、別の巨大な権勢(ざっくり芸術かもしれない、商業かもしれない、人間というコンセプトかもしれない)による切り分け、その認識のまなざしによるものであること、それ自体には意味があり、わたしはそれから逃れられないし、逃れようとしているわけでもない。それでもそれは厳然と「「わたしの」考えていることだ」。←これは皮肉です。
インディーズで何をしよう。ただ、使えるものならなんでも使おう。わたしはそう思っている。ナガモトさんのスローテイルも、対の極なるファストヘッド?アーリーアダプトも。先のナガモトさんのおはなしは広いので、ほとんどこぼしまくっている。
あとordinarydays続きます。