あけましておめでとうございます。

お年玉いくらあげたんだよーこのーこのーえっおれはって?聞くんじゃねえよーこのー。甥っ子も姪っ子も親戚の子もふくめお年玉貰うあらゆる世代がわたしの周りにはいないのです。ほんとよ。
トカトントンという音は聞こえてこない。何たる脱力感、空気が抜けた音、代替物を考えていたのだが、ついに思いつかなかった。タラタンタン、はあ行が明るくてくどい。あとは・・・濁音半濁音も使いたくないし。まあそんな感じ。さてそもそもトカトントンとは何であるか、もったいぶるわけではないけれど、調べたら楽しいかもしれませんので、ぼくは言いません。
去年もたくさんの人に出会った、関係を持てた。おらワクワクしてきたぞ。ワクドキとは誰が言ったかラララ、ワクワクドキドキの謂いですが・・・?うさちゃんピースのあの子です。答えがもう出た!さてさて、このごろとみに恋愛について考えるのです。乙女なのだと思い上がっています。どんなことかといえば、恋愛関係というポイントから一般の人間関係にまで敷衍してもにゃもにゃと、内容は無駄に対象が広く雑多になりそうなのですけれども、結論から言えば、敏くゆっくり、かしこく馬鹿に、という矛盾する気満々の倫理的実存、その形態を地で行くということになるだろう、と。その結論への到達はまったく新しくもなくて手垢ペッカーな例えだが、塔の螺旋階段を昇る、真上から見ると位置は同じだが、高さは違う、と描写できる、よく頼る例えです。しかし結論が出たところで、行動の指針が見えたところで、まるで安穏でない。実践はいつもギリギリであり、難しいことです。もっともこれは内省に傾いている。
わたしは砂漠へ竜巻の中へ入って、戻って来れなかったらそれまでだと考えた。この比喩は想像の、来る行動の根拠、ジャンプ台だ。