気分、気持ちが要因、ということを、それらに責任を押し付けるという言い方、それらにこそ権限があるという言い方をしてみて、解決できる、「生活」の領分がある。効用。より実効的実践的な。独立した「自律」「自己規律」、その前提にあるだろうところの「己」「わたし」という無根拠なもの、なんてひとまず置いておいてもよい。ただ、懐中の観念概念を整除したいというのもまた一つの「気持ち」なのだ。
心身の乖離は問題だ。どちらかがスターターである、というのはやはり一発想ではある。それらは未分でもあり、離れているかと思えばいつの間にか歯車がかみ合って、両者混然と駆動していくように見える。わたしは心を生きて体を生きて、と、する。

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自己暗示という習慣に懐疑は不要だ。どこで懐疑をやめるか、ストップをかけるか、は、時のまにまに、なすがままに。