宅録部のほうにメモるかどうか

楽器演奏習熟の根本的アプローチなんだよなあ。汎用的な。それを考えたい。
先生に教わるのがいいとは思う。しかし、どんな先生がいいのかって、いきなり選べるとは思えない。難しい。人間と人間のやりとりだから、大雑把にコミュニケーションの次元でアウトなんてのもありえそうだが。
仮にクラシック=アカデミックとする。すると、価値体系、バックグラウンドが大きいから、あくまでそれによる限りで、一通り安心できそうな。

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独学の一般的な限界って何だろうなー。自分はいわゆる独学だけど、大変なのは、大きくは何を大事な価値とするかを見つける決めること、と、あとそれの実践的側面における応用に関すること。どれがとても大事なことなのか、どれを押さえておけば評価されるのかといったようなところで、己で判断するに無駄が多くなる、とは言えそう。

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独学に限らない話。あんちぽっぷのけんたろさんもブログで書いていたが、例えば本書くように己で理論化する、己の価値を体系化するということをしようと思ってる。ただ体系的に物事を考え、理論化していくことはきっとしんどい。まあそこでこそハイパーテクスト、ハイパーリンクが有効ではないか、と。体系化、理論化自体が一つ価値的であると、それらリンクテクノロジーは相対化するわけだ。実際記述と言う面で便利であるわけだし。

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理論と実践って二元は便利だよな。

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泥臭いんだけど、やっぱ頭と体で、既存の諸理論諸価値を覚える、ってことで。いやいや、それはとても困難です。その上で、己が、それらにどのように自覚的に関わっていくか、その方法論、汎用的なそれについて、考えたい、まとめたい、と。