ほい

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ

ひとことでいえば、「音楽」という概念がどのように変わっていってるか、というはなし。ピンときた。
主には、テクノロジーが「音楽」を、そしてそれにまつわる諸概念をどのように変えていってるのか、と。諸概念は、「作り手」「受け手」それぞれに属するそれらへと大きくわけられるだろう。勿論、テクノロジーは経済や社会や学問と関係を密に持っていて、それ自体で独立しているわけではない。テクノロジーが役割として先鋭的である、といったようなことです。

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そんな音楽の概念の変遷史における「DJ文化」について書かれた章が興味深かった。テクノロジー×ミュージックの今のところ最後の子である、DJミュージック。それは狭義にはクラブと呼ばれる場所であったり、特定のシーンにおける文化的背景、価値を伴う「音楽」の総体である、といえる。広義には、「作り手」「受け手」という一時は自明であり有効であっただろう境界線を溶解してミックスする、「音楽」の可能性の総体、その示唆である。
この言い方は比喩的だし、きっとラディカルに聞こえるだろう。ただ、主にインターネットテクノロジー複製テクノロジーに基づく、紹介文化、共有文化において、すでにウェブ上の個々のハンドル、アカウント、個人が「受け手」でありながら「作り手」であるということは誇大妄想者の僕にはもうすでに真実に見える。「音楽」の理念は消滅するのではない。ただただ特権的なそれがそうでなくなるというだけ。固定したトップダウンの図式もヒエラルキーもありえない。などというと重いでしょうか。

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音楽概念の急激な変化によってまき起こる現実的な問題についても書かれている。主には著作権のはなし。しかし著作権という法律もまた、テクノロジーによってその存立を危うくされている。著作権は何を保護しようとするのか、これから何を保護するべきなのか。既得権益を、新しく更新されるテクノロジーによって脅かされる産業が、我が身を必死に守ろうとする歴史は今に始まることでない。「受け手」であり「作り手」でもある音楽愛好者はこれからその闘争にどのように関わっていくのか。

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だれが「音楽」を殺すのか? (NT2X)

だれが「音楽」を殺すのか? (NT2X)

はまさにその音楽愛好者の闘争の記述の一端。闘争というと穏やかでないけれど、音楽を自覚的に楽しむこと、楽しんでいくことってどういうことなんだろう。
デジタル音楽の行方

デジタル音楽の行方

まだ途中までしか読んでないけど、かなーーーーりラディカルな本。