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  • とんがってみえ(う)る他人の趣味嗜好

ウェブのコミュニケーションコストの低さによって、個人の深いところが飾り気なく見える?コスト低いからその内容が荒々しいまま、常識的でなくても迎合的でなくても、とりあえず死なないでいられる。常識的である、迎合的であるということを「あえて」コストと表現しています。そういう要素としてそれらを見ることがどれぐらい意味を持つのかはひとまず置くし、なのでコストという表現が表現のまま上滑りするやも。で、それから、多分精神分析的なはなしではない、あしからず、ってこのエクスキューズはもう飽きたなあ。んと、まあ端的に趣味嗜好のはなしということになるのかな。ただそれがその人間個人のコアに関係しているというか。すごくとんがってる。これは至極普通のこと、今更なこと言ってるか。そういう風に見えてくる他人の趣味嗜好は当たり前にまず大抵個人的なもので、自分のそれらとは違う、と。「孤独」の話をする。

  • 孤独の存在、存在の孤独

孤独をひとまずこう規定する。それは自分が自分であってそれ以外でないということ。もうちょい細かく、感官や記憶装置、それらを統御するものを持った一回的な生物としての自分。生物的な性性社会的な性性を担うになわされる者としての。社会の共同体の国家の中それらの歴史の中でアイデンティファイされる者としての。その他その他。哲学史思想史をひもとけばこんな規定は全然ゆるく、歯牙にもかけられないだろうし、その他の色々な科学の学問の領域から、規定、確認される「自分=孤独なそれ」があるだろう。いや、ここで列記された「自分」にことごとく孤独という性質を付与するのは違うか。自分という存在をまったく孤独なものとしてみることはより価値操作的であるか。前後するけれど、存在の様態のようなものとしての「孤独」を掬い取りたい。感情や内観としての「孤独」とはわけたい。孤独って何だよ、存在そのものだよ、何だそれ、意味不明。

  • 存在と感情をわける意味

いや「孤独」は所詮「寂しい」に過ぎないのだろうか。関係はあると思う。でも「孤独」を「寂しさ」や「辛さ」からわけたい。「寂しさ」や「辛さ」という感情やらはそこでストップしてしまうと、考えたので。ごっちゃにしたくないと思ってる。センチメンタルなものや道徳感覚的な言説から距離をおきたい。でもだからといって「孤独」のポジティヴを啓発的に、生活を飼いならすための道具として扱うのでも、素朴に肯定礼賛するつもりでもない。まったく違う趣味嗜好を持つ人間がバラバラでいるという世界の認識は冷たいかな。それとも差異に満ちた世界の肯定として暖かいものであるか。ともあれそれらは情緒に訴えかけるニュアンスだ。

  • 趣味嗜好、好き嫌いに関するコミュニケーション・ベータ

趣味嗜好の世界、そこにおいて、自分が他人と違うことは当たり前、ですかね。うん、当たり前か。うーん。個人には1億ぐらい好き嫌いがあるとしましょう。誰かと自分がそのうちひとつでも合ったらどう?奇跡的か。1億のうちの1。でもその合ってるってのは精査したの?瑣末なポイントならしないわ、面倒くさい。セブンイレブンの菓子パンうまいよねーそうだよね或いはそうかなあ、で終わるよ。どううまいの?どのポイントがうまいの?そのうまさはあなたの生にどのように関与してるの、って聞きだしたら、行く行くはセブンイレブンつぶれちゃいます。じゃあ、個人のコアの部分に関する趣味嗜好についてなら、どうか。合ってるかどうか精査しようとするかも。ひょっとしてそのコアの部分の1億の要素のうちでまたいくつか合うかもしれない。

  • アルファ

ファッション、モード、スタイルって概念がある。色んな側面あるだろうけど、それらは趣味嗜好の適合選別確認の便宜として働くと思った。だっていつも1億からいやもっとかもしれないけどそれらをそのまま一つずつ確認なんて有限な人間にできないし。だから、ファッション、モード、スタイルは便利なわけです。それらはメタ的だし包括的だから、比較考量がシンプルだもの。

  • 孤独厳しい、しんどい、でも放棄できない

自分が気になる人たくさんいますけど、ああこの人とは違うぽい、ああこの人とも違うぽい、と悶々とした。違うつっても、住む世界が違うとか、考え方が違うとしても、それでも一緒のとこもあるだろうよ。なのに、違うということに拘泥して悶々としたのだった。ただの気分か。いやいやそもそも、違ったら何なのだ。深刻なのか。違ったって生きていけるだろう。存在していける?ああ、まさにここがこれ書こうと思った初発点だわ。いやあ、人間時間があるので変わるところは変わるでしょ。あなた変わったわね、って言われたことある?時間的だし有限的な人間存在。ずっとずっと違っていくよ、ということ。
上記のようにじくじく考えたら、孤独って面倒くさいところあるね。もとより、いちいち比較なんてしない?自分で閉じてればいいじゃないかい。そんなコミュニケーション面倒くさいですから。好き嫌いの話はコスト高いから。なあなあでいけるところはいけばいいんじゃないの。生活があるのだから。生活は罪をしょってくれるのだから。罪て、馬鹿なホホホ。「人それぞれ」でいいじゃない、しちめんどくさい。百歩譲って、譲れない部分だけ譲らなかったらいいわけですよ、と。そうだなあ。そうかもね。普通の話に終わった。

  • 「(ぼんやり)寂しい」を解消するゲームでは克服できないもの

「寂しい」などの感情はコミュニケーションゲームで割とどうにでもなるんじゃないか。でも繰り返すに、孤独って面倒くさいね。

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孤独−存在の暴力について。
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