ほほほ

猫語の教科書 (ちくま文庫)

猫語の教科書 (ちくま文庫)

猫が書いた本。これから人間の世にでる猫に対して書かれたマニュアル本です。「声を出さないニャーオ」という概念を初めて知った。鳴き声を出さず「ニャーオ」と表情だけ作るのだそうです。今までに猫のそれを見た記憶がありません。
それから (角川文庫)

それから (角川文庫)

何度目でも辛くて途中で読みたくなくなる。苛烈な命運に対して、そのクライマックスに対してすくみます。社会と個我の話。社会の要素としての「イエ」「家族、親族」の意味合いはきっと時代の変遷によって変わる。これが書かれた当時はどうだったろうか。今よりはそれらの重かったのではないだろうかと想像する。いや状況を単純に比較することはできないけれど。恋愛色恋沙汰における皮相と真実なものの区別を設ける主人公は、己を正当化せんとするがあまりの矛盾に陥ってるのだろうか。真なるもの、内なる自然を解決するため社会との決裂を辞さない覚悟はエゴイズムの極致だろうか。身につまされる。
創造する無意識―ユングの文芸論 (平凡社ライブラリー)

創造する無意識―ユングの文芸論 (平凡社ライブラリー)

ユングさん謙虚な印象。芸術の創作創造と人間の精神の関係。彼がどう考えてるかってのがパッと見えてくる。「無意識」もそうだけど「集合無意識」ってのも訳語にあてた日本語のイメージがきついのかなあと思いました。
精神分析入門(上) (新潮文庫)

精神分析入門(上) (新潮文庫)

フロイトさんは、この本からがよさそうだな。フロイトさんは世の人が精神分析に対してどう思ってるかどう批判的であるかということをとてもよく考えてて、そのポイントを常ならずアピールしてます。まだ途中までしか読んでないけど、フロイトさん自身を精神分析すればいい!ということなのでしょう。学としての、科学としての、それから臨床、方法としての精神分析、という風に精神分析には色んな側面があるのだといういわば「余裕」を与えてくれる本です。ウィニー開発作成者の起訴裁判に至る一連の事件をめぐりながら、インターネットの思想、インターネットに関わる人間のそれとでもいうものを、60年代の反権力反政府「的な」カウンターカルチャーを遠くにすかしながらも、通低したものとして叙述した本と読みました。ここでいわれるネットとリアルの対抗図式はより政治的であると思います。今で言うところのギークは、そのピンポイントではどうなんだろう?こういう思想をあらわにしはしないまでも、その内に秘めてたりするのだろうか。
音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか (ブルーバックス)

音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか (ブルーバックス)

まず音律の作り方を知ることができてとても興味深い。「いい」響きを整合性をもってどれだけ展開できるのか。ここでいわれる「いい」響き、「心地よい」響きは多層的で、(音響)心理学、数学、物理学からアプローチうけています。参考文献多くてありがたい。
論理分析哲学 (講談社学術文庫)

論理分析哲学 (講談社学術文庫)

ウィトゲンシュタイン (講談社選書メチエ (21))

ウィトゲンシュタイン (講談社選書メチエ (21))

前者は概論的。論理学と数学の関係を両方から、論理学としての数学の追い詰め、数学としての論理学の追い詰めという具合に、二方向からの展開の歴史として叙述してる。それと現代の(論理)分析哲学について、と。後者のグレーリングさんはコンパクトにまとまってるように読めたけど、この一冊だけでは、きっと足らない。ぽかんとしました。ウィトゲンシュタインは自体が問題だけど、突っ込みにくいのだなあとは改めて思う。