うおお

斧屋さんの

「アイドルがリアルタイムで進む現象であるということ」

アイドル論はなぜ成り立ちづらいのか - onoya's blog

ってのがうおお、ぴーん、くらくらーときた。「アイドルに」「はまる」の意味。その一つ。例えば、今、90年前後のアイドル西田ひかるにはまることと、それはつまり、当時の西田ひかるを堪能できる各種媒体にあたるようなことであるとしてそれと*1ハロプロに今はまることとは、どうも違う。何が違うのだろう。
受け手自体の時間の制限がある。どうしようもなく過去のものをどうしようもなく現在受け取っていることになる。例えば、当時の西田ひかるの映像を何の断りもなくテレビに流していても、確実にこれは過去のものであると判断されるのではないか?時代の判断基準を知識を持っているものなら、その映像が少なくとも今のものではないということを判断することができるのではないだろうか。仮に意図的に時代を感じさせない作品であるならいざ知らず。いやそれでも映像技術や編集のそれ、風俗やファッションの事物、あるいは大きくそれらと自分の記憶との照合などで判断できるだろう。ストレートにありし日の彼女の記憶を持ってして「西田ひかる若いなあ」と唸ってしまえばそれまでだ。受け手は今という時代の変容を受けているしそれに制限される。
そこからアイドルの特性として結び付けられるかもしれない、流行とか今日性とか時代と寝ることとかを思う。世相の反映なんて言われたり(言われてるところを知らないが)、もっと大きい範疇であるであろうところの、現代を今を表現している、といってみると概念の広大さながら意外にピンとくるところはある。
時間の話でいうと、その時代、今をともに生きているということの意味は重くあるだろう。アイドルとまさにリアルタイムであるということ。それは掛け値なしの直接的な経験に全く限らない。過去の西田ひかるには絶対会えないが、今のモーニング娘。には直接会うことができる、といった可能性の話ではなく、媒体とか媒質の経験の同時・同期みたいなことだと思う。「まだない」が「今ある」になる経験を同期的に受け取ることができるということ。この辺も含めて、アイドル―ヲタの物語発生が並行的にあるのかなと思ったり。
 
と書いて、当たり前かあと。

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アイドル論の成り立ち難さについてはわからないー。や、ずっと論をみんな書いてきてたという風にはいえるだろうから。論の体裁含め批評の可能みたいなことかな、と今Imamuさんの過去のエントリーに近しいことがあったと思ってめくるも見つからなかった。一度それについて納得した記憶があったのです。

*1:他のはまりかたを思いつかなかった