ともだちんこー
メディアの予言者―マクルーハン再発見 (広済堂ライブラリー)
- 作者: 服部桂
- 出版社/メーカー: 廣済堂出版
- 発売日: 2001/04/01
- メディア: 単行本
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次は
- 作者: ポールレヴィンソン,Paul Levinson,服部桂
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2000/03/01
- メディア: 単行本
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- 作者: マーシャル・マクルーハン,エドマンド・カーペンター,大前正臣,後藤和彦
- 出版社/メーカー: サイマル出版会
- 発売日: 1981/02
- メディア: 単行本
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メディアは人間をその感官を規定すると言う意味で、唯物的な存在。メディアの唯物を踏まえて、汎身体論として読めるのではないかしら。大風呂敷を広げるに、最広義のメディアは、およそ全ての現象であると言いうるし、その見方は無意味でありえないということになるのではないか。もっともマクルーハンが取り扱うのはそれよりは小さい範囲のもの、いわゆる慣用として本来的なメディアでメディアテクノロジー、つまり、話し言葉、文字、書物、ラジオ、動画、テレビ、インターネットという伝播の媒質である。では、それらメディアと人間は一体どういう関係であるのか。
人間の感官−身体は無限のメディアによって拡張される。感官であり身体である人間は世界とのインターフェイスである。でも、それに終始するものでもなく、世界を開くし、開かれる関係がそこにある。形式−内容という従来の二元論は再び脅かされる。メディアはコンテンツを運ぶ単なるコンテナーではないという逆説の鉄槌。