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うまいこと結びつくかもしれないので。

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ライムスター宇多丸『マブ論 CLASSICS』出版記念トーク&サイン会 参加メモ+++ - 死に忘れましたわ
Imamuさんのエントリーから色々ぼつぼつとりとめもなく考えていたのだけれど。
自分にとってはハロプロの音楽はアイドルソングじゃない、という気がする。アイドルソングを称揚する美学あるいはそういう態度があるとして、それと自分がハロプロの音楽を称揚する態度は異なる、と言いたい、ただそれだけなのかもしれない。ハロプロヲタの自意識か。
一つ態度として、例えば、松田聖子とか早見優とかおニャン子クラブとか適当に選んでみて*1、彼女たちが唄った曲がそれ自体として価値がある、いい曲である、あるいはよい作詞家作曲家が制作に携わっているとかも含めて評価すること。または、時代背景とか芸能の歴史を遡及して何かしら固有の価値を見て取って評価すること。そういうのを想像してみる。これらの価値付けを、Imamuさんの当該エントリー経由*2で、アイドル自体の虚構という価値の脆弱性を異なったベクトルで支える、言わばアイドル自体がマイナスである分余計にそういった価値が栄えるという風にみてとるとどうか。つまり、そうでもしなければ、「世間的に(は)開かれない」、と。そうすることでアイドルソングは称揚されうる。この言い方自体は皮肉ぽいけど。
皮肉ついでに言うとImamuさんの「あーちすと(笑)/あいどる(笑)」って表現はやはりある種の空気を言いあててる気はする。アイドルだけでなく、アーティストも「バレ」てる。極端に、「バレ」てないものはない。バレはカウンター的な文化の意識なのかなあ、わからない。冷笑的な態度自体は今に限ることではない、昔からあるものだと想像するのだけれど。で、どちらにしても、今何かをやるなら、戦略としては必然的にそれらの空気をどう処遇するかということが焦点化することになるんじゃないか。自意識として回収されるというか。perfumeを面白いなあと思うのは、記憶違いでなければいいのだけど、自分たちをアイドルって言ってる、自称してるんですよね、違うっけ。それを初めて聞いた時は何故あえてアイドル?と思ったのだが、高度な「あえて」という意識なのかと一人合点した。彼女たちの歴史をまるで知らないので、発言があったとしても意味を取り違えてるかもしれない。ハロメンも自分たちをアイドルと言うが、当然もっともっと無邪気だと思う。矢口とかは例外的に娘。時代でもたまに意識的に「アイドル」を客体化したような発言してた記憶がある、忘れた。年をとるに従いそのあたり意識的になる傾向はまあ普通といえば普通か。勿論ハロメンも全体のそしてそれぞれ固有の歴史がある。
何でアイドルが人間でないと困るのか?というのは、ハロヲタの最大の矛盾であり同時に矜持であるとあえて言ってみる。受苦者の気取りかもしれない、像を前に祈りながらも破産を願うアンビヴァレントかもしれない。

*1:古いアイドルばかりと恣意的だが思いつかない

*2:同エントリーの本旨の片側と判断した部分「アイドルのそれ自体の虚構性とより特殊な歴史的傾向によるそれ」