権利ヤクザ、道徳ヤクザ、倫理ヤクザ、法律ヤクザと特化する。ヤクザシリーズの極み、「知のヤクザ」。
「ことば」によってでもバラバラになっていく気がする。このバラバラは不快、気持ち悪い。テクノロジーによるバラバラ、孤独にはない不快。テクノロジーによるそれはただただ孤独なだけだ。諸概念は流通することでゲテモノ、モンスターみたいに育ち、人間に巣くう。そういう風にしないと、流通しないと、育たない、そんな部分もあるのかも。人間が内側から切り分けられていく。「それぞれ」の「善悪」「正誤」が当たり前であるという言い草は凄まじい。事態に抗するに、いわば類的になったそれらをヒステリックに攻撃したり、流通し育った概念の構造分析をしたり。でも結局リテラシー自体を持て余している気分になり悲惨だ。
法と暴力という地平が開かれてる。世界にはこの二つしかなくなった。というより他は全部締め出されてしまった、そんな風に思えてくる。この二つこそがとても美しく記述される。だからこそか、他愛ない日常、そこには組しない日常が愛しく機能してる。