ごめんなさい、アンテナあがった

altaさん経由。
http://d.hatena.ne.jp/alta/20080302
最新エントリはちょっとわからないポイントが多いので、むぐぐふむふむとなりつつ、でも解釈してみるに、まず、ローカルの価値、地域の重みが僕にはわからないのだ、と思った。なるほど、「足場」という概念がインディーズによるメディアにおけるダイナミズムを生むとして、その「現実的な」「足場」としてのローカル、地縁、地域性である、と。いや、あくまで僕は重み自体の理解が出来てないというだけだと思います。例えばオプショナルな価値「ローカル」というのは、ピンと来る。付加価値としての北海道産、北海道の連帯とか、反太平洋ベルト連盟とか。適当だけど。要は、タグだったり、符牒、カテゴライズだったりというブランド性で、あと便宜性とか。でも、やっぱ僕はインターネットを過大評価してて、バランスがとれてない、と思う。むずかしい。オルタさんは長い目で見てらっしゃる。あーそうか、プロデュースという話に繋がるんですね。ローカルの価値は。
エージェント、リンク集ってのは僕も(技術力によっては)効率悪いし泥臭いと思うけど、人力グーグルの作戦はまさにそこで、ネットコンテンツの非グーグル的な価値をどれだけ付けていけるかというポイントかな、と思う。その非グーグル的価値は例えばid:tomadさん経由でのケヴィン・ケリーが説く「インターネットでコピーされない8つの価値」 - YAMDAS現更新履歴かなあとか。それはtomadさんのネットレーベルやろうぜ!!! - DIG@BOOKOFFで書かれてることですけども。
既存のソーシャルテクノロジーは、確かに価値システムをある側面で可視的にしたんだけど、運動からいえば早晩熱平衡みたいな感じ?になっちゃうのではないか、と。システムとして頼りがいがある、それゆえ安定しちゃう、規制がかかるとか。それは人間のソフトの面がボトルネックになっちゃうことかもしれないのだけれど、だからこそそこでポテンシャルある運動としての、ネットレーベルやろうぜ、って話になったりするんだけど、精神論的なものに落ち着くのじゃなくて、ソーシャルテクノロジーを利用しつつ、グーグルも使いつつ、ギリギリで非グーグル的な価値を追うこと、それこそがソーシャルの醍醐味、深みを掬うかなあと思ったり、あーすごく抽象論的でだめですスマヌ。ただ概念としての、ソーシャルの可能性と、コンテンツの可能性、それからフラット化の意味ってのは豊穣だと、考えてます。総じて価値化の含蓄というか。その辺追求していきたい。なんにしても、やること滅茶苦茶多いですよね。