梨華ちゃんがアイドルの先輩で、やぐが芸能人の先輩で、後輩たちにそのようなアイコンとして機能する、内面化されるということ。

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現象・事象としての芸能界は巨大電波によって、一時の趨勢は失したかもしれないが、やはりいまだそれを視聴する者であるところの個人のあるいは集団の変化変質に寄与するところ少なくないだろう。芸能界という鏡によって己をチェックする、芸能界的諸価値が己に楔のようにうちこまれる、といった比喩的自体である。テレビ(的価値)はそれ自体限りなく芸能界的だ。一方で、テレビをまったく見ないという選択も可能である、自体で正当であることは付記するまでもない。
大きな芸能界を人格化してみる。僕には大体嫌いなことの方が多い。でもほんの時々きらめくところがあって、その瞬間瞬間を大切にしている。よすぃこはそんな風なきらめきの一つだったし、実にその点で僕の目を開いてくれた芸能人だった。ごっちんは?ごっちんはどうだろう。ごっちんは何だかずっとそこらへんにいる、今でもひょこひょこいる、そんな気がしてならない。何故だろう。後藤真希は本当に不思議な存在だ。ごっちんは芸能人なんだけど、芸能人じゃない、というような。
辻加護のことを考える。辻加護は時限爆弾みたいだったなあと思うと、笑ってしまった。人間は爆発するという比喩。彼女たちとめぐりあえて本当によかった。