16歳の恋なんて

16歳の恋なんて

itsで。各メディアスルーしていたので、初めて聴いた。
「16歳の恋なんて」はメロが随所KANで贅沢気分。特にサビ、舞美さんが唄ってる前半の前半上昇4蓮音の相関、なっちの後半のそれとの相関。
じーのサビパートの前半

|E |D#m7-5 G#7|C#m |G#/B# C#m|〜

なっちのサビパートの前半

|E |D#m7-5 G#7|C#m |Bm7 E7|〜

コードで言えば偶数小節の進行、そこに乗っかるメロ「の恋が」「(わ)からない」「(こ)いなんて」「おもいで」などの4音がそれぞれ反復されていくのだけど、繰り返される毎にどんどん意味が変わっていく、強度を変えていく、というような。反復はメロでもリズムでもアンカーになる。
それより何より、なっちー舞美さんのかけ合いがほんと楽しい一曲だということ。歌詞世界の内容は、恋に関する女の子のジェネレーションそれぞれの言い分主張、やりあい、なんだけど、なっちが一応暫定的お姉さんポジションであるのがひたすら面白い。それはハロプロ物語的な面白さ、その芳醇であるところ大。いやまあ実際彼女はお姉さんなんだが。「おままごと」に先鋭化してるような、なっちの年上お姉さんパワー、迫力はまた別に母性的でもあったりするわけだけれど、でも待って、よくよく考えればやっぱりなっちじゃん、だまされたというような、そんな彼女の演技性全般に通ずるような、なっちの何か。唄聴いてる時「そうだよねなっち」→聴き終わったら「だまされた」→唄聴いてる時「そうだよねなっち」→聴き終わったら「だまされた」のエンドレス。ここにおいて舞美さんはなっちさんのこの役割演技(的状態)に乗っからない手はないと思うけど、外から見ても、安倍さん何かしら怖そうだしなあ、と。それでも乗っかって、舞美さんはティーンの役割演技で、キャラで、なっちをおばさん呼ばわりなどして、そこに闘争が展開されれば、受け手には尚わかりやすしでよかったり。手ごわいがなっちを使え、舞美さん。

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「私の恋人なのに」はバラード。舞美さんは相対的に拙いけれど、この唄においてはそれがとても貴重。ハープシコードやピチカートが演出する舞台設定の要求するものがそのまま舞美さんの唄声、朗々とする唄に現れているよう。熊井ちゃんの唄を思い出した。ハロプロの女の子にたまに見られる素朴、牧歌。