ライブ帰りの終電で音楽機材リュックを忘れたことがあった。阪急梅田線、京都からの帰り。十三で乗り継ぎ急がないといけないシチュエーションだったりで、不注意だった。電車降りて、さあ乗り継ぎだ急げ乗り継ぎ急げ乗り継ぎのりtあああああ、あああああ?あああああ!!というような。忘れたこと自体よりも、当の自分が忘れたことにとてもショック、驚きだった。ん?俺?俺なのかい?みたいな感じ。いや俺なんだけど、わかってるんだけど、でももう一度聞く、俺なのかい?間違いがあってはならないので、しつこいぐらいがいい。これからのライブどうしよううげー、など現実的な心配は結構後からじわじわときたが、それらは理性でコントロールできる程度であった。
あれこれ手を尽くしたのだけど、結局翌日まで確認とれずで、変に興奮の一夜を過ごした。周りのメンバーや関係者を決定的に事態に巻き込んじゃったりで、その点でも呆然自失極まれりであった。次の日すぐに忘れ物センターに連絡、あったとわかった時も、ん?俺?俺なの、かな?、などというとどこまで自失なのかと言い過ぎも言い過ぎだが、ともあれ、大雪で麻痺する都会のような、危機に対する自我の脆さを露呈したことに違いはないのだ。大雪で麻痺する都会という比喩が当たらずも遠からずという雑さ加減でよい。さて、そのリュックには実に娘。のハワイツアーのパスをずっと入れっぱなしで、それには氏名が記入してあり、顔写真も貼り付けてあったというわけで、忘れ物の確認照合などの手間がいささか省けたという心あたたまるエピソードが続く。取りに行ったら、センターの室長さんのおじさんが、パスを手に、さも、これで、このモーニング娘。さんのハワイツアーパスによって、このリュックはあなたのものと確認できました、そういうわけですよ、といいたげであり、実際、君はモーニング娘。のファンなのか云々、うちの娘もファンだ云々という会話が一方的になされ、ほんわか和やかムードも醸成され、薄暗い室内に常夏の日差しがうっすら差し込み、ついに、ありがとうおじさん、そして、ありがとうモーニング娘。、そしてモーニング娘。ハワイツアーパスと、俺はおじさんはばかることなく涙やら青っ洟を撒き散らしながらありがたり、スタッフさんありがとう、ハワイありがとう、地球ありがとう、この星は美しい、とエクスターゼし、そうだ俺のアイデンティティはこのパスによってこそ確かなものとされるのだ、俺はまさにハワイツアーパスだ、モーニング娘。は俺だ、などとついに彼に確認することに成功し、そしてこの真実をこそ狂信するようになり、あれこれあって今へと時空的に繋がるらしい、と、ここまで書いて、ああもうこの文章全部消したいなと思ったけど、やっぱり残す、が消した方がいいと思う。
リュックはもうまったく使っていない。そこにパスは今も大切に入れっぱなし、静かに俺を証明しつづけてくれている。