ほんと、あるものでやるしかない、それだけ。生を呪うべからず。ただそれは精神論の次元で、だけじゃなくて、知性と感情と意志を持つことだったり。「才能」「センス」という言葉は、圧倒的なものに出会ったときに出る、詠嘆とか感嘆じゃないのかしら。ただ言葉は固定化し、鬱陶しくまとわりつくことになるだけなのだ。でも事態を恐れることはない。炎や漣やカオスを決定論で見て、それを肯定するそのことから、実に自由が始まる。これが最上級の逆説≒運動。
運動が必要だ。動き続ける事。それは開閉や対抗−逃走、反復、停止など色々の形をとることだろう。