たか木さん経由、セクシーサンタという存在が僕の元にもやってきそうな予感がした。僕とは無縁の存在だと思っていた、そして事実全く関心を持っていなかったものだから、この心変わりには我が事ながら少なくなく戸惑っている。
僕が今思い出しているのは、矢口真里が何かの番組で、クリスマスに自分自身をプレゼント、という発言をしていたことだ。それは具体的にそのようなシチュエーションを想定した内容だったはずだが、ひょっとしたら記憶間違いで、バレンタインに関しての話だったかもしれない。でもクリスマスに矢口が包装紙に包まれて配達され(そういうサイズだ)、上目づかいにリボンをほどいて?とささやくといった状況を想像してみるに、そちらの方が俄然魅力的であるから、バレンタインのことなど今はもうよろしかろう。
その時矢口はまっすぐな目を向けるだろう。照れ笑いなど往時のキャハハが微塵もない、およそ彼女のイメージらしからぬ、まっすぐな目を向けるだろう。それが矢口だ、というのが僕の狂気だ。
以上は矢口マジックの話で、次は亀井マジックの話をする。
亀井絵里が、クリスマスに自分自身をプレゼント、という発言をするとなると(ブロマイドを通じてであるが実際した、と考えてよい)、僕の狂いは質的に飛躍をして、トナカイをもれなくブッチャーに売り渡す、といったことになるが、これは勿論例えである。きちんと言うなら、狂いが狂い狂いになり、僕は目覚めた狂人になる。狂人は眠っているに限るよ。
ここまで、セクシーサンタの話をまったくしていない事に気づいて仰天したが、最早修正の余地もないし、その気もないので、やはり僕の元にはセクシーサンタは来ない、と強引に結論付けていいのではないかしら。来るなら来る、来ないなら来ないではっきりして欲しいが、できるなら、永遠にはっきりしないで欲しい。その上でできれば、できればだが、来る来ないがまったくはっきりしない、情勢が不透明である時に、あるいは来ないでがっかりするぐらいなら、初めから期待しないやいと意固地になっている時に、ふいにやってきて、失望をうきうきへ、不安を喜びへ、世界をあまねく真っ赤にピンクに塗り替えてしまう、そんなセクシーサンタ、そしてそれこそがセクシーサンタ、であって欲しいな。思いつく限りそれが僕には最高のプレゼントだし、何なら靴下をもぐもぐ食んだっていいんだ。