最近著者の講演があったらしく、レポを見た。その中で「直接的な説教」表現を封じ手に、テーマをバックグラウンドで、と解釈できるおはなしが。
JOJOの5部ぐらいから、割と説教臭くもとれそうな直接的なセリフ、モノローグの表現が見られるようになったと思うのだけど、それはあくまで些細なもの、断片的なもの、といったところなのだろうか。著者の哲学・思想・主張と、作中のキャラクター固有のそれら、それから当の漫画のテーマというものがそれぞれ一致するべきかどうかなんてどちらかといえば理念的な部分は、僕は全く考えた事もなくて、その上で、言わば上記印象は読み手の恣意に委ねられた一結果にすぎないというのは、なるほど著者の考えるところ、一己たる漫画を描く側の姿勢云々とは矛盾するべくも無いだろう。要は書き手と読み手、という一つ強力な図式における書き手の姿勢が講演において主題的であったということに尽きるわけだが、それらのお話自体について自分で主題的に引き受けるとなればまた色々深々とある、と。
 
だらだらとした。その説教臭いかもってところで読む人に敷居があがっちゃったら、損だな、と思ったってだけの話で。
新刊では、著者としては一周したのかな、というような、超然としたキーワードが提示されたと思うのだけど、何だかうまく読めてない気もする。