ニコニコ動画批判関連についてメモ。
僕はニコニコ動画ユーザーではありません。

                                      • -

著作権のおはなし

現行著作権法著作権侵害は法律違反
著作権侵害親告罪

著作権はたくさんある。「事実的には」きっと皆著作権侵害していると思う。法律違反と言われると、どうも辛い気持ちになる。著作権侵害だ、違反だと言われると、やはりどうも辛い気持ちになってしまってやりきれない。侵害とか違反とか、自分は悪い事をしているらしいという鬱陶しい気分になる。でも、ちょっと水を飲んで落ち着いてみると、当の著作権とは一体何だろうか、という疑問も発生したりする。発生しない場合もある。そう、著作物についてまわる著作権って何だろう。この問いは無邪気に響きすぎる。

著作物は目に見える(見えないものもあります)、音が聴こえる(聴こえないものもあります)といった風で、実在が伴う、何かしら物として「ある」ものですが、それには必ず著作者ないし著作権保持者が関係しているらしい。この関係は目に見えない(見える場合もあります)、音が聞こえない(アナウンスされる場合もあります)といった風で、実在が伴わない、何かしらの物として「ない」ものです。物としてあるかどうか、実在非実在云々は考えのほんの端緒でしかないということを明記します。なのでとりあえずは、そういう関係が俺にはありありと見える、オマエには見えないのか、不能力者めが!などと罵らないでください。とにかくそう明記した上で印象操作していきます。著作物の著作者についてはまあイメージができる。誰々の音楽は誰々が作詞してねえ、とか。じゃあ同じように、著作権保持者、権利者についてはイメージできるか。誰々の音楽の原盤権は今誰々がもっているんだよ、えーあいつがゲラゲラ?などとスキャンダラス風に語られたりしたら、イメージできる時がある。でも概ねイメージできない。意識しない。これは想像力の貧困、問題意識の鈍磨のせいでしょうか。かもしれない。ごめんなさい。でも、著作権保持者はできればもう一歩前に出てきてくれませんか?顔が見えるところに出てきてくれませんでしょうか。さすれば、著作権保持者についてイメージできる、意識できる契機になるかもしれない。と、あしからず、提案風になりましたが、別に提案ではないです。

                                                                • -
                                                                • -

ネットテクノロジーは唯物のレベルにあるので、規範のレベルは本来的には干渉できない。

ネットテクノロジーによって媒介された事物、デジタルデータはタダ、コストゼロのように感じる。でも実際はタダではない。ネットを提供している提供者、開発者、技術者など直接的な関係者は言うに及ばず、人類の叡智がここに集約しているといっても過言ではない。これはぼんやりした言い方だ。まず言いたいのは、誰かしらがお金を、時間を、コストを実際払っているけれど、それとは無関係に無制約的にネットテクノロジーの恩恵に与る事ができる、ということ。フリーライダーという概念はここに生まれうると考えるが、誤解かもしれない。
技術によって著作物を著作物たらしめる試みは様々なされてきた。CCCDとかDRMとか。遠い昔の話のように聞こえる。これが唯物のレベル、つまり技術の有効性による一元的な管理という意味で全うである。全てである。それに対して、著作物の消費者は、じゃあ買いませんということもできる。でもまあ買うよ、ということもできる。技術には技術をと、著作物の技術をクラックすることもできる。じゃあ著作者側は更なる技術力を行使する。いたちごっこの始まり。
ところで、規範のレベルは、それが法であれ道徳(感情)であれ倫理思想であれネットマナーであれ文化的言説であれ、技術とは別次元にある。技術的行為を抑制することはそれ自体では不可能だ、というより端的に関係が無い。これは一つの理屈だ。その意味で、人間のクローンを作る事を禁止することと、著作物を守ることは同じ。そこには程度の差しかない。
技術は自律的に進化するのか?別の契機があるのか?例えば経済のレベルの関与がある。じゃあ経済の自律性については?それより「人間」自体の自律性は?

                                                                        • -

理念的な落としどころは皆がそれなりに満足するところ、だろう。権利者と非権利者(消費者)のパワーバランスにおいて。