メモ

価値の起源論、生成論、系譜
・史的なそれら
・今まさにここで生まれるそれら
ベクトルが逆
 
価値は作品、コンテンツ自体にあるのではない。
媒介ではあっても、内在するものではない、とひとまず考えてみると。
 
読み手が聴き手が価値化する。批評の可能性とウェブ社会の相性。
印象批評の側面、批評自体が作品、コンテンツ。
誰もが価値化できる。
その代わり価値化はハイパーインフレする。
価値化は暴力、闘争になる。でも
価値化は本来的にはそれこそ命を削るものなのではないか。
それはしんどい営為だ。
コミュニケーション形態、テクノロジーによってそれらのコストを下げる。
そのバランスは色々ある。コミュニティ化、島宇宙化。
 
しかしもともと、作品はそんなに大事なものなのか?
無いと死ぬのか?→生活と生きることの乖離。

                                                      • -

・「コンテンツ」という概念の可能性
媒介、媒質という性質が作品性に関与すること
・価値体系としての文化の来し方行く末について言及する事
文化はあるパースペクティブによっている、よらないと文化たりえない。
とすれば、理屈では
例えば文化の没落について嘆く事は当の文化内在的な言説としてしか
読まれえない?