http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20070924#p1
http://d.hatena.ne.jp/kagami/20070924#p4
権力(ここではとりあえず≒マスメディア)、その「芸術・アート」の選別選択、政治的利用、プロパガンダ、エトセトラ。高橋さんもkagamiさんも最広義での「権力」で「権威」でいらっしゃると思います。おおざっぱにすぎるかもしれないけれど、揚げ足取りなんかじゃないです。とても真摯に言ってます。自分で真摯なんて言うなよ、って話もあります。
「芸術」の区分の自律的な、客観的な、または制度的な妥当性についてはともかく、何らかの結実した思想(的なもの)が作品制作の必要条件だとはひとまず考えないとしても、「何か」を「作品」として「作る」、その「営為」と「作られたもの」はそれだけでもう十分思想的であるだろうし、そういうミクロの思想の萌芽として権力であることは避けられないのではないだろうか、と思います。そしてそのミクロを、既存権力が理論が後押ししたりもするし、その反対もある。要は「作品」という権力の闘争の展開。それを「作品」の「価値」の闘争として考えることもできるかもしれない。あるいは決定論的な作品の歴史哲学みたいなものを見出せるかもしれない。
ネットが普及して、作品を「作るもの(語るもの)」=制作者と「見るもの(語るもの)」=鑑賞者の二重の関係を感じます。一つはそれらの極端な乖離で、もう一つは真逆の接近。何か作品に対する「そんなに言うならお前が作ってみろ」というような発言をしばしば見かけて、それが両者の関係のバランスを象徴してるようにも思う。かなり飛躍すると「作るもの」は「見るもの」でその逆もまたしかりということになるのだけど、そこに例えば「批評」などの可能もある気がする。
 
権力って言葉に捕らわれすぎか