http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20070913/p1
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ハロプロ音楽の「ダサかっこいい」あるいは「ダサい」について。
id:altaさんの昔やってらっしゃったサイトの過去ログを読んだりしてたのです。何だろね、やっぱ往時の芳醇な「ダサかっこいい」は今機能していないのかな。往時といっても僕はリアルタイムでは知らないというべきだろうな。そういうのって今機能しても包括性は失われてるのかも。アレンジってのがファッション形式として一番重んじられるのはもっとも。それは聴覚印象のゲシュタルトとして成立しちゃってるから。飛躍してカラオケ耳。感性的なカラオケ的価値。だからperfumeと質的な種差、要は即物的なアレンジのファッショナブルの違いが先鋭的になる。もう少し専門的な音楽的価値が独立的なものとして想定される次元は、やっぱりまた別のところにあるとは思う。
それで、単純にそういうファッショナブルな曲をハロプロがやることの意味を問題としてみると、根本的には、ハロプロ音楽自体の全体性が問われることになる。そこからは、小手先のファッションを随時追求しても実はあまり本来的ではない、と結論されるだろう。これはでもひねくれ者の見解ぽいかしら。何かを選んでいる余裕は無い、ってのももっとも。
「ダサかっこいい」の全体性(あったとして)を復権、なんて風にはストレートには思わないけど、つんくさんが今「ダサかっこいい」についてどう考えてるのか、そしてそれと現行のハロプロとの関連がどうなのか、ってのは気になる。