■
http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20070825/p1#c
http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20070821/p2
のオタク−サブカル理解を図にしてみる。
- -
(表象・イメージ・符牒・記号などとしての文物の次元)
オタク的文物 (⇔) サブカル的文物
↑
- -
|
(主体・実存などとしての次元)
オタク ⇔ サブカル
- -
二つの次元がある。
上の次元はテクノロジー並びに情報による媒介によって、私たちの手元に届きやすくなる。その可能性が限りなく高まる。
→閾値が下がる
下の次元はそれらには媒介されえないものとして措定される。私たちにはそれらが決して見えない。それらが実在的であるかどうか、などといった問いはここでは問題とならない。→ありうる本当の意味での「ライフスタイル」
下の次元はどんどん上の次元に移行する。表象化、イメージ化、符牒化、客体化、構造化、情報化などなど。それらは私たちに見える。オタク的文物は、サブカル的文物は、もはや出自如何に左右されない。それらはそれぞれの符牒が張られた文物としてしかない。→「オタク文化=サブカルチャー」というイメージの融合、あるいは「動物」にとって、実践的な意味での両者の区別の無効
そして、文物以外、それぞれの姿勢、思想、実体的な部分などなども、上の次元に限りなく回収される。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
これはすごく極端な理解だし、既存の「技術」と「情報」にまつわる言説と比べても、そのデフォルメでしかないだろうし、更に時制でいえば古びたものであるはず。
ここからの問題
→何かを見通すこと、理解することの可能、その方法
→ちょっと飛躍して、リアル−ネットという便宜の不便、そのテクニカルな区別の有効性如何
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
モダンとポストモダンを実体的あるいは実念的に区別する術は無いし、その必要も無いかもしれない。それは言説的(物語的)でしかないし、誰もまさにその起源という意味での「発生」を知らない。→「起源」「発生」へのアプローチの問題
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
蓮実さんの
>「我々は今も19世紀の中に生きている」
は内容としてはちょっとわからないです。どこで言われてます?<itaitteiさん
ご教授願えればありがたいです。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
といった感じで、またまた間接的であり、その実、的はずしてるかもしれないので、ツッコミいただければ嬉しい限りです。