26才のかおりん、なっちとこうやって相対することができるなんて、想像もしなかったし、実際まったく不思議なことだ。こんな世界の出来事。
 
私は本当に年をとっていってるのか?タイムカプセルの中、ハロプロとそれを眺める私。掘り起こすのが誰であれ、その時一気に時間が埋めあわせられるのじゃないだろうか。
 
でもこれは瞬きほどの走馬灯だろうな。死という一点をゼノンのパラドックスのように分解していく走馬灯、それこそが生であるという理解。私はひょっとしたら何度も繰り返してるのではないだろうか、このパノラマを。そしてそれには必ずハロプロの一かざしがある。