「才能」という概念が無くなっちゃった世界

フジでオマイラキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! : たけくまメモ
404 Blog Not Found:才能に関して知っておくべき二つのこと
 
ワイルドの「生活にこそ天才を、作品には才能をだけ」云々という文言の言葉の連なりが好きだ。ワイルドその人に関しても、この格言の本来的文脈とか、解釈史についてもまったく知らず、開き直っている。
「生活」自体は鈍臭い、惰性的だし、反復だし、つまらない、でもだからこそ天才をつぎ込む、放蕩する、蕩尽する、創造する。僕は歯を磨くのとか、風呂に入るのとか、飯食うのとか、しなくていいならしたくないなあ、でもしなきゃならないからしている、といった具合に己を慰めて。これはただめんどくさがりなだけなのだろうか。でも皆そうじゃないのかと勝手に思っている。そんなしなきゃならないことをできない人もいる、放棄している人もいる、わけだが。ちょっとずれた。で、ワイルドは、「作品」にこそそういう力を使えよといった作品至上主義の反応を封じているのではないだろうか。「作品」的「生活」、「生活」的「作品」。そんなバランスのことを言っているのかなあ、そんな機微を感じる。「天才」と「才能」の差がここでどれぐらい想定されているのかわからない。でも、その差が如何ほどであっても、このワイルドには関係がない、というか万民に関係ないんじゃないか?「凡愚」「無能」「非才」などのいかにもマイナスぽい価値も混ぜてみよう。
 
私たちは言葉に囚われすぎる。それは類の傾向としてしょうがないのかもしれない。そしてそこで価値的言葉の触れ幅が激しくなってきているのも、これまた傾向である、と。価値の格差か。なんちゃってこれは頭痛の痛みみたいなものか。しかし、1と0、デジタル、all or nothing。糞ゲーとか神動画とか、○○格差もここに強引にねじ込んでもいいかしら。互いが互いを排除する力の強くなっていく様、インフレ。ここで、本来的な根源的な言葉に、さあ戻ろうじゃないか、そんなのあるのかどうか知らないけど、でもみんな頑張ろうよ、デジタルがやなら、アナログだよ、ってそんなこともう誰も言わない。僕も言わない。
 

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「才能」という概念が無くなった世界。僕たち私たちの概念体系やら何やらから、言葉の神様が、それに類する言葉群を取り払ってくれました!ヤッホー!真の平等は真の価値序列である、としても、「才能」という言葉が無くなったら、何か不便になるような、物足りないような、ウキウキがないとか、お肌にハリがない桃井かおりとかそんな感じ?言葉の神様は「ああ、もう言葉自体があったら、結局同じだわ」と首をくくった。首吊りに才能はいらない?
 
これは極端です。
 

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「才能」は数値の多寡、量的なものであると仮定する。あるいは戦略的に数値化する(=技術化)。暗黙知も何のその。合理の刃で切り刻む。http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20060315/p1。才能とかセンスとか洗練とか全部数字にしようぜ。ああ、君、バレーコードをアップピッキングで弾く際、右手首の内側の随意筋に走る電流が平均より、7μアンペア低い、だから、せめて誤差2μアンペアにまでもっていって、とギター教室でいわれた死にたい。僕は昔流行ってた?ような「ビミョー」という単語を駆使して、先生、微妙ですね、と皮肉を込めてつぶやこうと思ったけど、「微妙」すらも数値化されてるので、多分これ微妙じゃないかも、いや微妙ではないのだ。これは言い方の問題か。
 
これも極端ですね。
 

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http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20060221/p1
主客を完全に分離する。才能はその二つの領域に別個にあるのだ!世界は黙れ!俺が俺には才能があるということの意味と、誰かが俺には才能がある(あるいはない)ということの意味内容は、全く異質である。共約不可。俺は鏡に向かって100万回俺には才能があると言い続けた。世界の言うことには耳糞ほども耳を貸さなかった(でも褒められたらちょっと嬉しい)。そして今日も俺は俺には才能があると頭の中で言い続けるし、それが俺の生きる糧なのだ!で、今日、君は才能ないからクビ、とかいわれたが・・・あいつも他に気の利いた言い方できないものだろうか、才能がないからクビなのではなくて、端的にクビにされただけなのだフハハハ。
 
これは精神論です。でもそれ自体は結構有効じゃないかと思うのだけど。楽観的か。
 

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射程を元の議論に戻してみて、特定の「機構」(会社とか組織とか)とそこに属する「個人」の問題、その個人の属し方とか、ぼんやりいってみて社会制度の制度化の問題とか、もっとぼんやりいうと、「仕事」と「労働」の分離のはなしとか。そういう様々な契機における、個人の「才能」(才能マネジメント)の話にはやはり関心があるので、考えていきたいなと。ジャンプしたら寸分違わず同じところに着地したみたいなエントリーになった。こういう才能。