http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20070619/p2
誰にとって何が大事なんだろうか、と。
僕はガッタスとその活動に関して疎いので、言えた義理じゃないだろうけれど、半分自分のアンテナの感受の問題で、後もう半分は発信側の問題、としては駄目でしょうか。今ガッタスはどんなことしようとしてるんだろう?芸能活動として。ハロプロ物語として。そういうことがよくわかんない。ガッタス物語は一度終わったなあ、ってのが漠然とした印象としてあった。カントリー娘。がいて、ボスさいとーさんがいて、ののがいて、こんこんがいた、という歴史のおはなし。それで、それからのガッタス、再始動したガッタス、その実態がよくわからない。ガッタスツアーなんてのがあったな。それからキッズが入った云々ってのは知ってた。よっすぃーがいるし、みきてぃ、サトタ、柴ちゃぴん、梨華ちゃんコレティがいる、そして、こんこんが再び。僕はこんこんが好きで、彼女を再び見ることができるのは嬉しいことだ。以前のように彼女を見ることができるか、感受できるか、といえば、それはわからないし、それはきっとそんなに大した問題でもないだろう。物語は悠々と流れ、その前でヲタの心の整理など如何ほどのものであるのか。これは卑下などでは決してない。
「情報の非対称」って概念は、経済学や商業の問題におさまるものではないだろう。コミュニケーション、交通全ての根本に関わってくる問題(アポリア)だと考える。情報としての「事実」を想定すると、何がしか楽になるのは、それがより神様の視点、要は全知全能の視点の安心、安定、絶対を感得できるからではないだろうか。そして神様をひっぱり出さないまでも、より事実らしい事実はやはりありうる。それは当の情報の価値と正比例する。一握りの人間が知る事実。飛躍すればそれが権力そのものである、ともいえるかもしれない。いわゆる「事実」は我々には決して知らされない。これが非対称のイメージであるが、そもそもこの「非対称」には何か「対称」な状態がどこかにあるということを前提としている節がある。やはり「本当」の「事実」というものへの、憧憬は根深いのだ。
それはともかくとして、我々は忍耐強く想像する。前段落の続き、ガッタスがその活動として何ゆえCDを出すのかしら、という問いに、我々の想像力はある程度の羽ばたきをみせることだろう。そこに「事実」として、闇の見えない複雑な利権関係を想定してもいいし、もっと楽しく、新しいお祭りが始まるぜ、と色めきたってもいい。さて、ここにおいて「美学」と「美談」という概念はどのように機能するか。
「美学」はもう失われてしまって久しいといった感のある、ハロプロ大きな物語*1というエンターテインメントの概念であるとする。それは既存メディアにあるいはインターネットによって技術的に媒介され増幅された、エピソード、ドキュメントの定型といったものであっただろう。ASAYANという装置がその象徴である。それは疑われないイデオロギー的な機能を果たしていた、といえるかもしれない。そしてその意味でそれは、我々には「真実」だった。エンターテインメント的「真実」。そこには「事実」がどうとかこうとか割ってはいる余地は無かったのではないか。
大きな物語は終わった、ぽい。いつ終わったか、という事実的な問題には興味がない。技術的にいえば既存メディアでの露出の浮沈がその原因である、といえる。あるいは、そういうエンターテインメント形式、もっといえばエンターテインメント固有の運命か。そしてそれらが複合的で決定的なのかとも思う。ただヲタにはインターネットが残っていた。そして直に空間共有できるコンサートなどの「現場」が残っていた。ヲタは「美学」を声が枯れるまで唱え続けるだろう。
極端に言ってのければ、「美学」が面白いウソなら、「美談」はつまらないウソだ。「美談」は「美学」に水をさす。「美談」は懐疑のための懐疑を催すような言説だ。脱退時のみきてぃのコメントはそんな「美談」だった。みきてぃの心の中のことは当然ながらまったくわからない。想像を幾ら重ねても、追いつかない。
例えばこんこんがhttp://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20070619/p3なんてコメント出したら?僕は拍手喝采するだろう。一方ブーイングする人もいるだろう。でもそれは「美学」のエンターテインメントであり、その反応としてすごく明朗で健全じゃないか、と思う。ヲタは反応したくてウズウズしている。みきてぃはガッタスCDで唄いません、なぜなら彼女はプレイガールで、その罰だからです!ってオフィシャルのコメントが出たら愉快痛快なんです。一方、ガッタスでフットサル日本一になってやる、なれなかったらよっすぃがビキニ写真集出す、とか、そういうの。ああそれはそれでまた見たいけど。
こういうのってきれいごとかなあ。でもきれいごとすら言えなくなったらもうおしまいだよ。

*1:これは僕の恣意的な規定による形而上的「物語」とは異なる。