萌えとはプロ意識 - activeエレン
これは気になります。
 

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ビジネスコンテンツ含め戦略的である「萌え」。
それらはまず、需給という共犯として経済的合理の次元で成立する。
 
そこで需要供給どちらが先かと問うと、循環に陥るけれど
ヲタの能動性、主体性に照明を当てるなら
萌えは、知覚的感性的な表象であって、かつ
その感受・感得はヲタの主体的な能動的なものである、といい得、
つまるところ需要(する者)の特権的立場を確立することができる。
といっても、またそこには別の交差する契機があって
それは、「能動」的な「受動」というような、少しくレトリカルな
状態、背反するような状態として認められるだろう。
 
以上はクラシカルな主客二元によるもので、
一つの理解以上のものでも以下のものでもない。
実体論的な「萌え」。
 

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相反するであろう関係論的な「萌え」については。
 
「萌え」も他の「物々」と同じく記号である。
そのような記号の総体、流動的な網の目の関係によって
自存的な主客は解体される。
限りなく動的に生成される記号群において、
自我が、欲動が、当の生成から構成される。
記号の流れによって私たちは流れることになる。
そこでは、意識や志向性などは極めて限定的である。
 
「萌え」というシニフィアンは様々なシニフィエの上を
滑って汎在し、私たちを駆動させる。
 
その状況において
ハロプロの「萌え」の特性とは?
 

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ある脳内の物理的状態が「萌え」である、ということはできる。
脳内生理、生物分子学の規定。
だが、それは、当の私の「萌え」については
説明しえない。
 

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ひとまず。
 

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エレンさん、すいません。
中途エントリーです。
 
プロ意識としての「萌え」、とても興味深いです。