のの個人の責任、事務所の管理責任、システムの責任。
あとやぐの責任、なんてのもあって笑ってしまった。まあ
やぐは今に始まったことではないけれど、嫌われたよなあ。
うわすげえ他人事ぽく言ってる俺、やぐ大好きっこなんですよ。
 
事務所に関しては、いつからかずっと限界を
示し続けてて、これ以上はできませんって言ってる
ようなものだし、実際必死でそうなのだろう。
もっと合理的にうまいことやれるのかもしれないが、
やっぱ良くも悪くも人間味がある会社という印象ですが
どうなのでしょうか。
 
「個人」概念もそうだよなって。敷衍したら行き着くところは
社会における個人の話になるだろうけどさ。哲学的にいけば別もあるだろうさ。
しかし一体どの次元で個人を持ち出すのか、不明瞭だ。法か?法なら
個人は絶対に要請されるだろうな。でもそういう次元で語ってるテキストには
お目にかかってないよ。そんなにウロウロ読んでないけど。
で、道義とかを根拠にした個人指定は難しくない?あいまいすぎるもの。
そもそも
世間とか通念とか共同体的道徳、慣習、常識などは化け物なので
それを語る時、人は同じく化け物になる。
個の責任が見えなくなる。
なのでそれ「だけで」何かを断罪しようとするのはあなたの個が危うい、と
穏便に言ってみた。何で穏便やねん。
「プロ意識がない」「ハロプロのイメージが損なわれる」というのが
上記化け物的言説なら、ここでスッポリ抜け落ちてるのは
責任を持って語る個人だ、と。
でも一般化なんかは俺もよくやるしね。それは上記化け物に
少なからず通ずるだろうと思うし、まあ直接化け物に
与したこともあるだろうなあ俺。そこで心理学を(俗流だけど)
引っ張り出してくるとしんどくなる。例えば、非難するのは
ただその人が嫌いなだけだからじゃないのか、とか。
 
あと消費者の権利ってそんな自明なのか、と。
常に失効し続けててもおかしくないよ、なんて言いたいよ。
言いたかったら言えばいいので言っている。
極端には毎回権利のための闘争を展開するべきだろう。
ハンストとか、焼身自殺とかやらないと、無理だ。
いや先人の恩恵に属する者が何をかいわんや、って話で
俺もそうなんだけどね。
権利ヒステリーって近いいつかにきっと
れっきとした病気として認知されるだろうな。
ただ強引に関連付けて

アイドル現象を金とサービスの交換としか考えてない輩もいるようですが

http://d.hatena.ne.jp/onoya/20070508/1178650498

と斧屋さんが仰るところ、そういう交換は原理として、一つの(非合理的)合理として
容認しておくと、その合理を超えたところにあるアイドル現象を
説明しやすいかな、なんて、自己弁護します。というのも
僕はその「交換」から世界を捉えたいからなのです。
原文文脈からすれば枝葉ですが、あしからず。
 
うおおおおおおおお俺と僕を同じ文章の中で
使うと怒られた記憶があるぞ。コンプレックス。
 
あと(あとが多すぎる)「アイドル」だよなあ。
「アイドル」自体がずれていくし、状況も変るしで
何を根本とするにしても、いわゆる古典的なアイドル像に
固執するのはしんどくて皆疲弊してゼイゼイいう。
俺は逃げる。
ハロプロがそういうの皆殺しにしてくれれば
痛快だな。
 
ちょっといつも以上に乱文です。すいません。
 

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続くかなメモ
・アイドルとヲタの絶対的非対称⇔対称の往還
・そこにおける信頼関係とはいかなるものか